第一章 怪奇探偵、人喰い館の話を聞くのこと

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 そのまま先生はのんびりと庭を鑑賞し始めた。 「だって君、どう考えても今、館の中は修羅場だよ。僕は火中の栗は拾いたくないね」 「そうですね、その慣用句の使い方があってるかどうかは置いておいて」  僕も修羅場には遭遇したくないので先生の意見には概ね賛成だ。それに庭に何か手がかりがあるかもしれない。  そんな気持ちで僕も庭を探索することにしたが、何もわからない。ただ庭の綺麗さに圧倒されるだけだ。 「やあ、ここはもう少ししたら薔薇園にでもなるんじゃないかね」  先生はのん気にそんなことを言いながらアーチに巻きついた蔓バラの蕾を愛でている。自分たちの存在のせいで館内は今や混乱中だと言うのにこんなにのんびりとしていてもいいのだろうか。  僕が少し唸っていると、再び館へと続く道に車がやって来た。これはマズイことになった。どうしよう。また大騒ぎになるかもしれない。  僕は慌ててどこかに隠れることを考えたが、先生はお構いなしだ。のんびりと庭を見ていたと思ったら、あろうことかなんと今来た車の様子を観察するためにか庭の端まで行ってしまう。  何をしているんですか、という僕の言葉は果たして僕の口からは零れなかった。その前に、車から降りてきた若い男性が先生の事を見つけてしまったからだ。 「お前、新しい使用人か?」  男性は先生を見てそう言った。傲岸不遜は先生の専売特許だと思ったけれども、ここにももう一人いたらしい。 「お客だとも。君と同じね」  傲岸不遜、その一が声を張り上げて答えると、傲岸不遜その二が眉を顰めた。この人が『極楽館』にやってくるのはきっと決まっていたことに違いない。それに対して僕たちはいわゆる飛び入り参加だ。そんな顔もしたくなるだろう。 「なんで俺と由希絵の顔合わせに見ず知らずのお前が参加するんだ?」 「お構いなく。そちらの用件と僕の用件は全く別物なのだからね」  そこまで先生が言うと運転席と助手席から中年の男女が降りてくる。そして不可解な物を見る目付きで先生と、ギリギリ見えるかどうかの位置いる僕を見た。  僕はぺこりととりあえず頭を下げて先生がおかしなことをしないかハラハラしながら見ていた。 「やぁ、こんにちは。今日は許嫁同士の顔合わせとしては良い日和だね」 「何者だ?」 「何、公顕翁の客さ。お二人の顔合わせには口出ししないので安心してくれたまえ」  先生が答えると中年の男女――恐らくは由希絵さんの許嫁の両親だろう――は顔を見合わせながら若い男性を連れてさっさと館に入っていってしまった。最後まで先生と僕を値踏みするように見つめてくる由希絵さんの許嫁の視線が痛く、僕は縮こまってしまう。 「君って奴は本当に小心だね」  先生はそんな僕の様子を見ながら鼻で笑うが、僕から言わせれば先生がおかしいのだ。はぁ。溜め息を一つ。僕が肩を落とすと先生は面白そうにくすくすと笑った。  それから先生は踵を返すと「さて、いつ館に戻れるだろうねぇ」とのん気なことを言いながら先ほどまで由希絵さんが座っていた椅子に勝手に座った。  僕はその姿に呆れながら、仕方がないので先生の向かい側の椅子に腰を下ろした。五月。初夏の暑くなりかけた日差しがじりじりと僕たちに降り注いだ。  そのまましばらく経つと石段に二人の人物が姿を現した。  一人は由希絵さん。もう一人はその許嫁だ。 「僕たちは館に入ろうか」  先生に促されたので僕は「はい」と答えて立ち上がった。そして白杖をコツコツ鳴らす由希絵さんと、少し面倒くさそうに彼女をエスコートする許嫁さんが僕たちとすれ違う。僕は彼の名前を知らない。すれ違う時に、足音で気が付いたのか由希絵さんが僕たちに向かって会釈をした。 「そんな奴らにかまうな、由希絵」  許嫁の言葉に由希絵さんは「でも」と声を上げる。 「おじい様のお客様なんです、靖さん」  どうやら許嫁さんの名前はヤスシさんらしい。ふんと鼻を鳴らした靖さんは由希絵さんをやや強引に連れて行ってしまう。彼女は少しふらつきながらも、自宅故かなんとか踏みとどまって靖さんについていく。  僕たちはそれを見送ってから、館の中へと舞い戻った。 「聞きましたよ。貴方がたは公顕様に依頼された探偵さんなんですね」  真っ先に僕たちを迎えたのは靖さんのお父さん……らしき人だ。彼は背広の胸ポケットから名刺入れを取り出してその中の一枚を先生に差し出した。 「私は東都中央銀行の羽田と申します。公顕様には大変良くしていただいておりまして……」  そこには銀行名と役職が書かれている。常務取締役……というのは多分だが相当偉いはずだ。こういう時、自分の知識がまだまだ子供のそれなのだと気付かされるのだ。  先生はその名刺を見て「ふーん、羽田智也さん。常務取締役ね」と言ってから、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ。  そして中から代わりに自分の名刺入れを取り出すと「これが僕の名刺」と、ひどくぞんざいなやり方で羽田さんに名刺を差し出した。  怒るかと思われたが、羽田さんは丁寧にそれを「頂戴します」と受け取るとそこに書かれたシンプルな『怪奇探偵 大津玉葉』の文字をまじまじと見つめた。 「怪奇……探偵さん、ですか」 「そう、ただの探偵ではない。僕はこの世の怪異と魑魅魍魎を人知にて暴き、そうしていつか『本物の怪異』に辿り着く者だよ」  そう言って先生が胸を張って見せると、さすがの羽田さんもどうしたらいいのか分からなかったのか、あんぐりと口を開いている。  そこで僕はコホンと一つ咳ばらいをして、自分の世界へと旅立っている先生をこの世に引きずり戻した。 「ああ、ええと……こちらは家内の恵子です」  羽田さんはその顔に愛想笑いを張り付けながら、側に立っていた女性を紹介した。 「恵子です」  彼女はじろじろと僕たち二人を不躾なほどに見ながら、それでも控えめに自己紹介をした。僕も会釈を返す。  その様子をソファーに体を沈めながら不愉快そうに見ているのが先ほど由希絵さんを連れて行った彼女の母親の顕子さんだ。その横には定臣さんもいて、同じく化け物でも見るような目付きでこちらを見ている。  ……そんな目付きは、僕は慣れっこだ。去年のあの日から。  一瞬思考が陰ったが、すぐに陰鬱な考えを振り払ってせめて愛想笑いを浮かべておく。先生はそういう事が苦手だし、僕がやらなければどうしようもない。 「では皆さんはご歓談を。僕たちはこれから仕事をしますので」  そう言って先生は大仰にお辞儀をすると僕の首根っこを掴んで歩き始めた。やめてくれと叫びたかったが、見知らぬ人だらけの部屋の中で叫ぶわけにもいかず、僕はただなされるがまま部屋の出口に向かって引きずられる。  入口の脇に立っていた中川さんがドアを開けてくれて「どうぞ」と先生に先を促した。そうして僕と先生が出てしまうと中川さんもお辞儀をして部屋を後にした。 「あれ? 良いんですか?」 「私はこれより昼食の支度をいたしますので」  そう告げると完璧なる使用人、中川さんはすぐ先にある厨房へのドアを開いて中に入っていくのであった。 「料理まで出来るとは驚きだ」 「先生も見習ってほしいですね」 「なんだって?」  僕の軽口に腹を立てた先生が首根っこを更に強く締める。ぐえっと蛙が潰れたみたいな声を上げた僕に「いけないよ、坊やたち」という優しげな声が聞こえてきた。  振り返ると、二階から降りてきたのか見知らぬ中年男性とそれから公顕さんが立っている。 「遊びでも首を絞めてはいけないよ。事故になってしまうかもしれないからね」  そう言うと男性は朗らかに笑い、自分が宮下省次という医師であると告げた。聞くに、どうやら公顕さんと由希絵さんの主治医としてこうして館をわざわざ訪ねに来るとのことであった。 「由希絵さんは心臓が悪いのだったかな?」 「三年前に移植手術に成功しましたからね。それ以降ずいぶんと良いですよ」  宮下医師はそう言って公顕さんの手を取って今僕たちが出てきた居間に導いていく。それを少し手で制して公顕さんは僕たちに向き直ると、衝撃の言葉を告げた。 「中川に君たちの食事も用意させておる。良ければ一緒に食べていってくれ。奴は中々に料理が旨いのでな」  ……これには先生も一杯食わされたのだった。
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