夏祭り

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私のお父さんは、私が六歳の時に死んだ。 交通事故だった。 私の家族はとても仲が良く、絵本の中の幸せな家族にだって負けないくらい幸せだと思った。 私が、お父さんとお母さんに 「私ね、お父さんとお母さんのこと、世界で一番好き!」 というと、二人も同じように返してくれる。 でも、わたしは知っていた。 お父さんも、お母さんも、一番はお互いなんだって。 もちろん、不満があったわけじゃない。 むしろ、仲のいい両親を友達によく自慢してたくらいだ。 あの日も、三人で仲良くお喋りしながら、朝ごはんを食べた。 天気も良くて、でも春だから心地いい日だった。 いつもと同じように、私とお母さんは、いってらっしゃい。とお父さんを送り出した。気をつけてね。とも、言った。 お父さんも、気をつけていってきます。と言ってくれたのに。 それは、私が外で遊んでいるときに来た。 先生がいつもと違う、引き攣った笑顔で私を呼んだ。 帰り支度をさせられ、門まで行くと、おばあちゃんが来ていた。 わたしは、おばあちゃんに手を引かれ、どこかへ連れて行かれた。 歩いている間、私は何も聞けなかった。 おばあちゃんが、悲しそうな、寂しそうな顔をしていたから。 おばあちゃんは、わたしの手を強く握っていた。 まるで、どこにも連れて行かせないように。離さないように。 電車を乗り継いで、着いたのは病院だった。 病院の中に入ると、ソファーに座ったお母さんが見えて、不安に押しつぶされてしまいそうだった私は、強張っていた体の力を抜いた。 「お母さん!」 早くお母さんの優しい顔を見たくて、走り寄りながら、お母さんを呼んだ。 しかし、私は、お母さんの正面で立ち尽くしてしまった。 なぜなら、お母さんが1度も見せたことのない表情をしていたから。 その表情は、憂いに満ち溢れ、目は光を失っていた。 心なしか朝よりもやつれたように見え、顔色も悪い。 当時幼かった私にも、何があったのか、おおよそ予想がついた。 お母さんはわたしに気づいても、 「……あぁ、鈴」 そう言って、また、目の焦点がずれていく。 私は怖くなって、おばあちゃんの元に戻り、案内のために来るらしい病院の先生を待った。 「ご案内しますので、こちらにどうぞ。」 数分すると、先生が来て、私達をお父さんのもとへ連れて行ってくれた。その道のりが、とても長く感じた。 真っ白い廊下をしばらく行くと病院の霊安室に着いた。 そこは空調が整えられているはずなのに、私の手は凍っているように冷たくなっていた。 目の前には、顔に白い布を被されたお父さんがいた。 先生は、私がいることを配慮して、遠回しな言い方で言ってくれたが、簡潔に言うと、お父さんは仕事で外回りをしているときに、道路に飛び出した子供をかばって、大型トラックにはねられたそうだ。 聞いた時、私はそれまでの生涯で一番、心の底から怒った。 一番大事なのは、お母さんじゃないのか。 助けるとき、お母さんや私のことは考えなかったのか。 なんで、お母さんや私よりも、見知らぬこどもを優先したのか。 こんなこと、考えちゃいけないと分かっていても、考えてしまった。 人を助けたお父さんは偉いはずなのに。 目の前の困った人を迷わずに助けてあげられるところが、お父さんのいいところなのに。 もう、考えるのが嫌になって、私は考えることを放棄した。 そして、気づいたらお母さんと家に帰っていた。 おばあちゃんが、家まで送ってくれたらしい。 家に着いてもお母さんは、相変わらずだった。 お父さんの写真の前に座り込み、項垂れた。 その後ろ姿を見て、私は思わず抱きついてしまった。 その背中が、今にも崩れてお母さんまでいなくなってしまいそうだったから。 後ろから、短い手を精一杯伸ばして、お母さんを包み込んだ。 「お母さん。行かないで」 私の声にお母さんは応えなかった。 だから、何度も何度も、涙を流しながらお母さんを呼んだ。 「お母さん。お母さん!…ねえ、おかあさん!」 自分でも、何回呼んだかわからなくなってきた時、やっとお母さんにわたしの声が届いた。 「すず?鈴、どうしたの?」 「お母さん。お母さんが、どこかに行っちゃいそうで。わたし、怖くて」 泣きながら訴える私に、お母さんはやっと気がしっかりして来たらしい。 「鈴、ごめん、ごめんね。どこにも行かない、ここにいるよ。だいじょうぶ。」 そう言って、体の向きを変えて、わたしの背中をぽんぽんしてくれた。 その時のお母さんの顔は見えなかったけど、きっと泣いていたんだと思う。 "大丈夫"と、そう言う声が震えていたから。
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