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12話 花火の夜
あたしはサーヤの浴衣に向かって、たこ焼きを投げつけていた。
お礼にと買った熱々のたこ焼きが、ソースの線を描いて、地面に転がっていく。
「あっつ! なにすんのよ! ちょっとしたイタズラじゃん」
これが、ちょっとしたイタズラ……?
「データ消したのが、イタズラで済むわけないだろ!」
殴り掛かりそうな章の胸倉を、あたしは掴んだ。
妙に冷静な自分がいる。
いや、冷静というんだろうか?
世界が真っ白に見える。
涙も出ない。
「悪い。帰る」
歩き出したあたしに、
「浴衣、弁償してもらうから!」
「東京まで来てくれたら、金払うわ」
ここまでしておいて、驚いた顔はないと思う。
無視して歩き出したあたしに、
「……ごめん」
あたしを追い越した章が、謝ってくる。
なんで謝るの?
言いたいのに、声も出ない。
人混みを過ぎて、喧騒が遠くに聞こえる場所に出た。
火花が散る音がする。
ここにはあたしたち以外、誰もいない。
ただ2人で立ち尽くすここは、外れの道路。
アスファルトが足を冷やしていく気がする。
あたしは2人の間の重い空気に押され、吐き出した。
「……いいんだ。いいんだー! あんなの、駄作駄作ー! 大した作品じゃないしー! どーでも大丈夫!」
「やめろよ」
章はあたしの両肩を掴むと、目を覗き込んだ。
「なに」
「オレ、『桜の影に沈んだ』って描写、めっちゃ好きだった」
「……読んでんじゃん」
「いいだろ。万年筆のヒビが入ったシーン、すごく、画が浮かんだし、彼女が『黙れ』って叫んだの、すごく響いた。……あんなに大事に大事に書いてたじゃんっ! どうでもいいとか、駄作とか言うなよ! ……オレ、あの作品、大好きなのに……!」
──大好き。
なんて、言葉だ。
あたしの頬をぶん殴る。
「でも、もう、ないし、さ……」
声に出さなきゃよかった。
出さなきゃよかった……!
あたしは自分についた嘘に、さらに、なぐられる。
あの作品が、大好きで大好きで、何度も読んで、自分ひとりでニヤニヤしてたのに……
──あたしが、作品のこと、一番、大好きなの!!!!
もう、手元にない現実が、リアルに浮き出てくる。
悔しさと悲しさが、形になって、ボロボロとこぼれだす。
……自分の甘さが一番、憎い!
自分しか使わないからとパスワードはわかりやすいように画面にテプラで貼り付けてあったし、スマホは楽しむ場所だとデータ同期はさせてなかったし、SDカードは高価だから、全部本体に保存していた。
すべてちゃんとやっていれば、少しでもデータを守ってあげられたのに。
全て、これは、あたしの怠慢だ────
「……あだじが、……まもっで、あげられながっだがらぁ……」
「ごめん」
「謝んなよぉ……あだじが、わるいがらぁー」
「ごめん」
章のごめんは、作品に謝っている。
抱きしめられたけど、それは作品を慰めてるんだと思うと、なぜか、すごくありがたい。
鼻をかもうと顔をあげたとき、ドンと胃に響く音が鳴る。
しだれ柳が夜空に浮いている。
「……あたし、この花火、好き」
章はもう一発上がった花火を見上げて、
「オレは丸い方が好きかな」
「好み、分かれたね」
なぜかそれが面白くて、声を立てて笑ったけれど、花火が声を消していく。
オレンジに染る頬がチラチラと光る。
キレイだなって思ってしまう。
書いた小説の男性も、きっとこんな横顔なのかも、って思ったとき、ようやく気づいた。
あたしは、この人に、恋してるんだ──
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