9話 オリテキタ 

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9話 オリテキタ 

 自転車にまたがるあたしに、 「サーフムービー渡したんだから、約束、反故にすんなよ」 「それ、脅しって言うんだけど」 「いいから。頼むって」  脅してみたり、拝んでみたり、忙しい男だ。 「わかってる。じゃ、明日ね、章」 「またね、由鈴」  16時を過ぎたくらいだが、日差しがまだまだ熱い。少しだけ赤みがかっても見えるけれど、夕日には程遠い。  ただ、なぜだろう。  自転車を漕ぐほどに、ぼんやりと描きたい物語が浮き出てくるのがわかる。  きっと、スイッチが押されたのだ。  誰がどうやって押したかはわからない。  だが、これをワナビは、『オリテキタ』という! 「……書ける……書けるぞー!」  あたしは猛ダッシュで家まで帰り、エアコンを効かせた部屋に寝転がると、ポメラの電源を入れる。  指をキーボードに乗せれば、すぐに冒頭の文字が紡がれていく。  たしかに、一番最初の行は大切にしなきゃいけない。  でも、ここがスムーズに出るか出ないかが、あたしの創作スピードの鍵になる。 「……コレ、イケる、かも」  夕飯も飲み込むように食べ、それからも打ち込み、夜中の3時が限界だったが、無事完結。目標の1万文字も到達だ!  応募は1万2千文字以内なので、あとは推敲するのみ。  意気揚々と布団に潜り込んだが、瞼を開けても閉じても、小説の世界が広がる。 「…………なんか、寝れない……」  そう思っているうちに5時となり、ばあちゃん起床。  どうにか眠ってみたけれど、10時になぜか起こされた。 「あー、起きた? よかったよかった」  ばあちゃんだ。  なぜか猫を抱っこしてる。  ふてぶてしい顔で、ナーーーと低く鳴いている。  だが、まだ顔があどけない子猫の雰囲気がある猫ではある。 「この子ね、最近納屋に住み始めたネズミちゃん。久しぶりに帰ってきたから、ご挨拶」 「……ん?」 「ネズミ色のトラ猫だから、ネズミって名前なの」 「……うん」 「ずっとね、ネズミが由鈴ちゃんの部屋を見たいって騒ぐからね、もしかして、倒れてるんじゃって思って」 「……そう」  たまにあるんだよ。  ばあちゃんのメルヘンなヤツ。  あたしはため息混じりに布団から這い出ていく。  ばあちゃんは素早くあたしの布団を畳むと、居間に顎をしゃくった。  ネズミに案内されるように居間に行くと、テーブルには冷えた目玉焼きがある。  あたしはまだ寝ぼけた頭のまま、炊飯器からごはんをよそう。梅干しを冷蔵庫から取り出し、ご飯の前に座ると、麦茶が出てくる。まだ温かい。ヤカンで煮出した麦茶だ。 「ソーセージ焼くかい?」 「いらないいらない。ねー、ばあちゃん、今は猫も家のなかで飼うのがいいみたいよ?」  猫 飼い方 で検索すると、止めどなく出てくる。  だが、田舎のここは、納屋のネズミ取りに猫を外で飼う人もいると聞いた事がある。  どちら用の猫かわからないため、飼う前提で話をしてみると、ばあちゃんはふんふんと頷いた。 「ネズミ、ばあちゃんといっしょに、家に住むかい?」  シワシワの手で撫でられるネズミは、膝の上でフワァと大きなアクビをして丸まり直したが、ばあちゃんは優しそうに微笑んでいる。 「ばあちゃん、一緒に住むなら、病院で薬とか打ってもらわないとね」 「由鈴ちゃんとも、しばらく会えなくなるから、飼うのいいかもねぇ」 「だね。懐っこいし」 「じいちゃんがね、家で猫は飼うなって人だったから」  どこか噛み合わない会話だが、これがばあちゃんだ。  ばあちゃんの気持ちが前にある会話だ。  昔は嫌いだった。  言ってる意味がわかんないし、話がつながってないし。  でも、ババア孝行を始めて3年目ともなれば、この程度のこと、どってことない。  だってばあちゃんは、新しいことを増やすより、昔の記憶の方が大きく心に残ってる。何度もリフレインする過去の記憶は、ずっとずっと大きくて、色が濃い。  だから、口に出てくるものも、色の濃い記憶や気持ちが先なんだ。  ……ってことが分かったのは、去年でしたけどね。 「あ、ばあちゃん、今日、花火大会行ってくる」 「じゃ、お小遣いあげようか」  あたしは、遠慮という言葉を、心のなかから消し去っているので、余裕で受け取ることができる。  食事を終えたあたしは2時に家を出ることにした。  改めてシャワーに入って、まともに見えそうな服を選んでいたとき、ちょっと笑ってしまった。  まさか、ここで服を選ぶなんて思ってもいなかったからだ。  きっと、お祭りという特別感が、そうさせてるんだ。  あたしはサロペットを選び、履き慣れたシューズを合わせることにし、着替えをすますと、 「じゃ、花火終わったら帰ってくるわー」 「ハイハイ。楽しんできてね」  ネズミはばあちゃんに何をされてもいいようだ。  小さいバイバイに見送られ、あたしは自転車にまたがるが、実は、まだ、オリテキタのは止まっていない……! 「早く公園で、推敲しなきゃ」  早めに行く理由は、コレのためだ!!!!
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