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 唐突に志貴は、梶も自分も彼の標的となり得ることに改めて気づいた。もしテオバルドが二重スパイなら、自分たちから得た情報を第三国に売る可能性もある。外務省の末端に軍の機密は届かないため、彼がどれほど有能なスパイであろうと、公使館員から本国の情報が漏洩することはない。しかしベルリンやローマからの電信は、マドリードにも届くのだ。  テオバルドに相対する時は、心の鎧戸にしっかりと(かんぬき)を下ろすのが賢明だろう。それほどに彼の人好きする態度と整った容姿、そして愛嬌の滲む笑顔は、するすると心に入り込み根を張る魅力を持っている。  内心ではいけ好かない奴と嫌っている相手でも、友好的に振る舞う術を身に付けている梶だが、さきほどの食事の場は、社交辞令ではなく本心から楽しんでいた。外務省で『鵜の目梶の目』と恐れられる鋭い観察眼は、初対面の相手にそう容易く合格を与えない。その梶が、この男を気に入ったということだ。  外交官としてではなく一個人としても純粋に興味深い、魅力的で経験豊富なスパイ。帽子の鍔の影に隠れ、表情の読めない男を見上げながら、志貴は吐息とともに答えた。 「それがあなたの仕事のやり方ですか」 「敬称(『あなた』)はやめてくれ、俺たちは仕事仲間になるんだろう?」 「……そうですね」
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