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マドリード 1943
この街は影が濃い。
内陸の高原に位置し空気が乾いているせいで、矢のように降り注ぐ日差しは鋭く、日陰に入らないと焼き尽くされて、比喩ではなく蒸発しそうだ。母国の夏なら、額の生え際に浮かんだ汗は乾くことなく耳の横を伝い、顎に滴るだろうが、ここでは日陰に入ってしばらくすればすっと乾いていく。
それでも神経質そうに白いハンカチをこめかみに押し当てながら、矢嶋志貴は木陰のベンチで『あの男』を待っていた。
この国の人間は概ね時間にルーズだが、彼は違っていた。もっともそれが仕事なのだから、遅れられては困る。
殆ど毎日、同じ時間、同じ場所で、二人は会っている。はたから見れば、親しい友人同士に見えるかもしれない。片方は、国際都市のこの街でも珍しい東洋人。もう片方は、少々軽佻浮薄な地元の兄ちゃんといった風体の、異色の組み合わせではあったが。
「よう、志貴。今日も時間より早いな」
大池の周りの散策路を歩いてこればいいものを、舗装されていない剥き出しの土を踏んで、いつもこの男は忍び寄ってくる。初めてここで待ち合わせた時、同じように音もなく近づき背後から声を掛けられ、飛び上がって驚いた志貴の顔に目を奪われ忘れられないのだと、まるで悪びれることもなく、こうして今日も耳元で声を掛けてくるのだ。はじめの頃は気を張って身構えていた志貴だったが、こうも毎日繰り返されては嫌でも慣れる。
「そして今日も綺麗だ。昼間はあまり出歩くなよ、そのやさしい色のなめらかな肌が焼け焦げたら困る。去年も言ったが、待ち合わせの場所、冬だけじゃなく夏の間もどこかの店に変えた方がいいんじゃないか」
「ここは木陰だから問題ない。それに君と会う用でもなければ、昼間に徒歩で外に出ることもないしね。いい気晴らしだ」
そう言って微笑む志貴に、男もニッと笑う。口の端を吊り上げ、目元を緩めただけのそれは、愛嬌の中にも色気が滲んでひどく魅力的だ。
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