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不自然さを取り繕おうとするより早く、抑えた口調で一洋が問う。
「あの男を好いているのか」
「……何を、言って……」
「誰が相手でも、私用で一日マドリードを離れるなんて、これまでなかっただろう。外交官がスパイに入れ込むなんて、どうかしてるぞ志貴」
冷徹な口調は、鋭く志貴を打ち据えた。
戦争に休日はない。在外公館で奉職する外交官にも、大使館の休館日はあっても、真の意味での休日はない。敗色しか見えない戦況下で和平の道を探る使命を自らに課しながら、連絡の取れない場所に遠出するなど、たるんでいるのではないか。──しかも、完全には信用できないスパイに連れられて。
そう責められているのだと思い、自分でも危うさを自覚していただけに、言い訳はできなかった。梶にも外出は届け出て、「休日なんだからたまにはのんびりしなさい」と了承を得ていたが、軽率と取られても仕方がない行動だった。
それでも、必要だったのだ。テオバルドを繋ぎとめ、我がものとするために。
使命のために必要な男は、感情が欲する男でもあり、志貴は己の欲と誘惑に抗えなかった。常にはない行動から、その弱さを、鋭い幼馴染は嗅ぎつけたのかもしれない。
もしかしたら、テオバルドに対する感情も──。
暖かい室内で表情を冷え固まらせてしまったら、それはもう答えたも同然だ。
どうにか取り繕う前の一瞬の逃避──わずかに俯いた志貴の顎を、人差し指の指先が、持ち上げるようにすいっと掬う。
恐れながら目線を上げた志貴が見たものは、目前に迫る男の顔だった。
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