580人が本棚に入れています
本棚に追加
楽しかった一日の終わりは、その相手との別離の決意で締め括られようとしている。すべて我が身の招いたことと知りながらもやるせなく、しかし、したたかな計算を巡らせた結果テオバルドとの関係を清算することに、迷いはなかった。
国益を優先する──それが外交官なのだ。天秤に掛けるまでもなく職務を選ぶ、それが矢嶋周の息子の生き方だ。
誰に共感を求めるつもりはない。薄情な冷血漢だと呆れ、計算高い性悪と軽蔑してくれたらいい。
別離の真の理由──一洋との関係維持をテオバルドに告げるつもりがないことも、不誠実であり保身と言えるが、いずれけじめはつけるつもりでいた。一洋との関係も、今後どう変化しようとこの場限り──帰国すれば表向きは幼馴染として付き合い、それ以上の交わりは断つと心に決めている。
そして、どれほど再婚を勧められても、誰とも添わずに一生を終えることも。
熱いシャワーで、少しでも胸の痛みを洗い流そうと立ち上がったところで、一階の共同玄関の呼び鈴が鳴った。
時計は零時を回ろうとしている。
酔っ払いの悪戯かと放置したが、立て続けに緊迫した調子で鳴らされ、志貴は警戒しながら通話口のボタンを押した。
「──はい?」
「志貴、俺だ。中に入れてくれ、早く!」
早く、の前に咄嗟に開錠ボタンを押していた。テオバルドの声だ。
さほど待つこともなく今度は部屋の呼び鈴が鳴り、志貴は慎重にドアを開けた。
吸い込まれるように、テオバルドのしなやかな体が室内に滑り込む。三時間前に別れた時と同じ服装だが、顔つきは硬く、何かを警戒しているように見える。
最初のコメントを投稿しよう!