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玄関に立ち尽くしたまま、互いの目を見つめ、どちらからともなく抱き合っていた。
殆ど毎日、『スペイン語』の時間に口づけとともに与えられた男の体温は、いつも志貴より少し高い。その高い熱に包まれるのも、今日が最後なのだ。
「始発までの間、あんたを俺のものにしたい。俺だけのものに」
「……君から離れる方法を、ずっと考えていたんだ」
息を吹き込みながら耳元で囁かれ、身震いを押し殺してテオバルドの首筋に呟く。
男の肌がざわりと粟立ち、志貴はそこへ唇を押し当てた。
「こうなるとわかっていたら、あんなに……」
(酷い思いをしなくて済んだのに)
二つに裂かれる思いをして諦めたのに、こうして一夜限りの恋人として、テオバルドは戻ってきた。迸る歓喜と絶対的な別離を、志貴への置き土産に用意して。
それを恨みながらも貪欲に呑み込もうとする、どこまでも身勝手な飼い主──恋人を、彼が軽蔑するように仕向けることだけが、志貴にできる手向けだった。
これ以上、愛しい飼い犬が自身を犠牲にしないように。不実な飼い主に心を残さないように。
彼が振り返る過去に佇むのは、ピラール一人であればいい。
そう願うのに、飼い犬の嗅覚は敏感だ。抱き合っているのをいいことに、頑なに顔を見せようとしない志貴の弱さを見逃さない。
「あれから、衛藤と何かあったのか」
「中佐、……兄さんは……」
蔑まれたいなら、別れた後の出来事を教えるべきだった。
テオバルドの邪推は邪推などではなく、一洋は幼い頃から志貴に恋情を抱いており、それを隠すのをやめたのだと。志貴には、彼を拒むつもりはないのだと。
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