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(1)
一九四一年十二月。
降誕日を数日後に控えたマドリードの街は華やかに飾り付けられ、この国がまだその命脈を保っていること印象付けていた。つい一月前までの、煤けた活気のない街をこうも変えてしまうのが、降誕日というキリスト教徒の一大行事が持つ魔力だった。
(とても戦時下とは思えない)
予約した古いレストランの扉をくぐりながら、いや、と矢嶋志貴は思い直す。この国は「一応」中立国であり、この国にとっての戦争は数年前に終わっている。だからこそ、日本人の――枢軸国の人間である自分が、こうして官憲にしょっ引かれることもなく、欧州の地で堂々と外を出歩けるのだ。
店員に案内されながら素早く店内を確かめたが、テーブルを埋める客はまばらだった。この国の戦争――三年続いた内戦の傷は深く、失業者と食料を求める人々が今も喘ぐようにその日その日を暮らしている。それが、この力強い太陽の光が降り注ぐ、かつての大国の実情だった。格式の高い店でなくても、レストランに足を運べる人間など限られている。
「さて、どんな男だろうね」
待ち合わせの相手はまだ来ていなかった。案内された席にゆったりと座りながら、上官の梶清一郎が愉快そうに声を掛けてくる。
「本邦の諜報機関設立のために、スペインの外相が腕利きを斡旋してくれるという。この国は中立国とはいえ親枢軸だが、地理的にご近所さんでもない我々に手を貸してくれるとは、大層ご親切なことだ」
「この国にも、得られるものがあるのでしょう」
「大方、ドイツに貸しを作りたいのだろう」
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