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奥の席に通されていた志貴は、声がする方をじっと見つめた。遅くも早くもない、まさに定刻通り。この男が『彼』ならば、この国では奇跡のような時間意識の持ち主だ。
果たして男は、つかつかと志貴たちのテーブルに歩み寄ると、慇懃に声を掛けてきた。
「失礼、梶公使ですか。私はテオバルド・アルヴァ・コルテス、昨日電話をもらった者です。普段はテオバルド・アルヴァと名乗っていますが」
「ご足労いただき感謝の念に堪えない、セニョール・アルヴァ」
揃えたように同時に立ち上がった日本人二人を面白そうに眺め、梶と握手を交わしながら、男はふっと口元を緩めた。
「テオバルドで結構。仕事相手に仰々しいのはやりづらい」
「では私のことも、梶と」
清一郎という長い名を持つ梶は、海外の友人から敬称なしの姓で呼ばれている。その方がはるかに呼びやすく、簡便だからだ。そう申し添えると、異国のスパイは納得したように頷いた。
「どうぞよろしく、梶。それと、この貴族みたいなお行儀のいいスペイン語を操る美人を紹介してほしいのですが」
「……彼は何と言ったのかね、志貴君」
通訳する声に間が空いたことを不審に思った梶の催促に、志貴は目を伏せながら答えた。
「私のスペイン語が日常的ではないと言いたいようです。それと、私を紹介してほしいと」
「ふむ、聞き齧った限りでは、そんな簡単な内容ではなかったようだが」
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