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 今から二週間前の十月十一日、午前七時五十五分。  死体を発見したという110番通報が入った。ただちに最寄りの交番から警察官が駆け付け、間もなく機動捜査隊と所轄の刑事が到着。  被害者は河野尚一、五十四歳。不動産仲介会社を経営。場所は河野の会社の自社ビル一階、駐車場部分。第一発見者は不動産仲介会社の従業員。出勤してきて駐車場のシャッターを開けたところ、社長の死体が横たわっているところを見つけて通報したという。  同日、午後に所轄署の大会議室に捜査本部が起ち上がり、県警本部刑事部と所轄刑事の混成部隊が組織された。  司法解剖の結果、死亡推定時刻は十月十日の二十二時から翌零時のあいだ。  死因は刃物で刺されたことによる出血性ショック。胴体部を七箇所刺されており、いちばん大きな傷は脇腹を正面から刺されたもので、背部まで貫通していた。凶器は短刀か刃渡りの長い包丁のようなものと推測されている。  遺体発見現場のビルは三階建てで、一階は壁とシャッターに囲まれた駐車場になっており、二階が河野の会社のオフィス、三階はずっと空きとなっていて、いちおうテナントは募集していたようだが、実質的には河野の私物を置く物置のようになっていた。  目撃者はなし。近隣には似たような小振りのビルが並んでいるばかりで、夜になると人通りが急激に減る。  河野のオフィスには古いタイプの防犯カメラが設置してあったが、オフィスからは記録装置ごと持ち出されていた。内情に詳しい人間の犯行と見てまちがいない。  現場からは犯人の手掛かりになるようなものはほとんど見つからなかったため、捜査は難航すると予想されていたが、被害者が不動産業者ということで顔が広く、多くの証言を集まった。河野の周囲の人間関係を洗うのは容易だった。  そして、事件発生一週間後には、ふたりの人物が重要参考人として挙がった。  ひとりは、梶原誠。三十六歳。  元裏社会の人間で、警視庁管内で逮捕歴が二回ある。初犯は傷害、二回目は特殊詐欺。特殊詐欺では懲役六年の実刑判決を受けており、三十一歳で満期出所した。  出所後は故郷であるこちらに戻ってきて、しばらく採石現場で肉体労働をやっていたようだが、三年前に繁華街の雑居ビルにカクテルなどを出すバーを開店。  足を洗ったとはいえ、元裏社会の人間のため、公的融資や銀行融資を受けることができなかったので、開業する際に頼ったのが被害者となった河野尚一だった。  河野は表向きは不動産屋だが、副業として金融業のようなこともやっており、梶原のような事情アリの人間に法定利息を超える高利でカネを貸し付けていた。  梶原の商売は順調で、開業時に借りたカネはいったん完済したが、昨今の事情により売り上げが急減したため、ふたたび河野の世話になることになったようだった。現場から押収した資料によると、梶原の残債は四百万円あまり。河野の会社の事務員が、梶原と河野が返済条件をめぐって口論になっているところを複数回目撃したと証言している。  事件当日の夜は、「店で仕事をしていた」と言っているが、裏付けは取れていない。その時間帯、客は一人も来なかったという。  本人曰く、「今の時期、店開けても客なんかほとんど来ねえよ」。  もうひとりの重要参考人は、河野摩季。三十八歳。元ホステスで、五年前に十六歳年上の河野と結婚した。  結婚後はずっと専業主婦をしていたようだが、二か月ほど前から別居し、ひとりでワンルームマンションに住んでいる。別居の理由を本人は明確にはしなかったが、夫婦の共通の知人によると、摩季が河野に内緒で情夫を囲っていたことがバレて家から追い出されたということらしい。河野尚一は弁護士を雇い、摩季との離婚協議を進めていた。  被害者の河野尚一には合計八千万円の定期生命保険が掛けられており、受取人は摩季となっていた。  犯行時間は、「家でテレビを見ていた」ということで、こちらもアリバイはない。  捜査本部ではこのふたりのうちのどちらかが犯人と見て間違いないだろうとして、両者に二十四時間監視を付けていた。  市内にあるプロ向けの調理器具販売店で、「事件の一週間前、梶原によく似た男に刃渡り三十五センチの柳刃包丁を販売した」という店主の証言が取れたと連絡が入り、捜査本部に残っていた幹部と待機班はにわかにざわついた。 「これでもう間違いない。逮捕状を請求しよう」捜査一課長の宮畑が言った。  しかし所轄刑事課長の小須賀は、慎重論を唱える。 「時期尚早です。もし拘留中ずっと否認されたら、厄介なことになります。もう少し、物証か目撃証言が取れるまで捜査を続けるべきです」  宮畑は小須賀を睨みつけて、 「相手は前科持ちの元ヤクザだ。何を遠慮することがある。トロトロしてたら逃げられちまう」 「監視は付けてあります。事件当日の河野摩季の動向についても、もっと探るべきです」 「ヤツが犯人に決まってる。俺の刑事のカンがそう言ってる。かまわん。任意でも別件でもいいから、ヤツのガラを持って来い」 「無茶なことをすると、後々問題になりますよ」 「なんだ、お前は。このチョウバを仕切ってるのは俺だ。俺に指図するのか」  ふたりの口調が口論のようにも聞こえるほど激しくなったころに、”監視班が梶原を公務執行妨害で現行犯逮捕した“という無線が入ってきたのだった。
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