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 無線が入ってから十五分もしないうちに、刑事課の戸部巡査と山崎巡査部長が、左右に梶原の両腕を抱えて刑事課に戻ってきた。戸部は二十五歳、丸顔の童顔で首から上だけを見れば少年のような印象を受ける。山崎は五十八歳のベテラン刑事で、額には深いシワが走っている。  梶原は長身細身の短髪で、上下黒のジャージを着ている。  宮畑は梶原の姿を睨みつけ、 「部屋に入れとけ、俺が直々に聴取する」と言ってあごをしゃくった。  梶原を取調室に連れて行って、間もなく戻ってきた戸部が小須賀に小さく頭を下げた。 「いったい、何があったんだ?」 「監視してることがバレてしまいまして……」 「それはかまわない。逃がすのはまずいが、バレるのは仕方ない」 「いえ、ヤツがアパートの部屋から出てきて、覆面の前まで来たんですよ。『ずっと尾行してるのはわかってるぞ』とか言いながら。その後、ちょっと口論みたいになってしまいまして、ヤツが覆面のバンパーを蹴ってきたんで……」 「そういうことなら、まあ仕方ないだろう」  山崎巡査部長が、手洗いに行った帰りなのか、ハンカチで手をぬぐいながら戻ってきた。 「捜査一課長、ずいぶん張り切ってますなあ。被疑者(マルヒ)の聴取なんか、こっちにやらせてくれればいいのに」ボヤくように言った。 「ザキさん、事情は戸部から聞きました。現行犯逮捕は正しい判断だと思います」  年上の部下である山崎に、小須賀は必ず敬語を使うようにしている。 「四十代のホンブの課長様となれば、やっぱりまだ出世したいんですかねえ。わしみたいな定年間近のロートルにしてみれば、雲の上の出来事だね」  小須賀と宮畑は歳も近く、肩書も同じ「課長」だが、所轄の刑事課長と県警本部刑事部捜査一課長とでは、天と地ほどは違わなくても、天井と床くらいの差はある。小須賀は警部だが、宮畑は二階級上の警視正。宮畑はいわば出世頭だが、小須賀は中間管理職で、この先あまり明るい望みもない。  宮畑は将来の刑事部長候補との呼び声も高い。県警本部の部長職はいわゆるキャリア組の指定席になっているが、刑事部長と生安部長だけはノンキャリ組エースの終着駅というのが不文律となっている。  刑事部長として警察官の職を全うすれば、退職後に某社団法人の理事の椅子が、天下り先として約束されている。 「一課長は、このままコロシの件で梶原を追い詰めるんでしょうか?」戸部が小須賀に訊ねる。 「どうやら、そのようだ。宮畑課長は自信満々だが、自白が取れなければ今手元にある証拠だけでは、公判維持は不可能だろう」 「でも、もうほぼ確定なのではないでしょうか。自白がなくても梶原の部屋と経営する店に対するガサ入れの令状は出るでしょうし、何か見つかれば決定的でしょう」 「まあそうなんだが、何か気になるんだよ、この事件。……監視していて、梶原の普段の様子はどうだった?」 「特に変わったことはないですね。毎日、アパートと仕事場の店と近所のコンビニに行くくらいで、自宅アパートには人の出入りはほとんどなかったです。外に出て人に会うということも、一度もありませんでした。店のほうは、客入りはゼロとは言わないまでも、週末でもほとんど無いようでした」 「梶原の店は、どんなメニューを出してるか、わかるか?」 「ほとんどアルコールやソフトドリンクだけのようです。チーズやスナック菓子などの出来合いのつまみや、電子レンジのみで調理できるような軽食は出してるようですが、ガスコンロのような設備は店内にないため、火を使うものはないようでした」  コンビニばかりに行き、店でも料理をしない梶原が刃渡り三十五センチの柳刃包丁を買う理由は、ほかには見当たらない。状況を見れば、ほぼ確定のように思う。  しかし、防犯カメラの記録を持ち去るほど計画的な犯罪を実行する人間が、死体を現場に残したり、足の付きやすい市内で凶器を購入したりするだろうか。  小須賀の予想どおり、梶原は否認を貫いた。  捜査本部はあらためて河野尚一殺害の容疑で再逮捕し、家宅捜索の令状を取った。  捜査本部と鑑識課の人員を、梶原の自宅アパート担当と経営をするバー担当のふたつの班に分け、小須賀はバーのほうの指揮を執った。  押収品の鑑定は速やかに進行したが、期待したような凶器の刃物や被害者の血痕が付いた衣類などは発見できなかった。  梶原は調理器具専門店で柳刃包丁を購入したことは認めたが、それが自宅になかったことについては、「料理を始めようと思って買ったが、向いてないと思ったので捨てた」などと理解しかねる供述をした。  鑑識が調べた梶原のノートパソコンのブラウザには、次のようなワードでの検索履歴が多数残っていた。   殺人 懲役何年   殺人 バレない方法   殺人 借金   包丁で死ぬ 刺す場所   人殺し 悲鳴   殺人 時効  それらの単語が検索されたのは、犯行日の五日前から前日に集中していた。  物証や目撃証言はないが、もはや間違いない。動機とこれだけの状況証拠が揃えば裁判員裁判の公判は維持できる。  捜査本部の宮畑捜査一課長はそう判断し、送検の準備をするよう命じた。
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