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 約三十分後、河野摩季を伴って戸部と山崎が帰ってきた。  小須賀は取調室に入り、河野摩季に対峙する。  被害者の妻ということで、事件発生直後にも何度か聴取した。三十八歳とは思えぬほど若々しく、目の覚めるような美人。中年の男でもその価値を知ってるほどの高級ハンドバッグを、手に持っている。 「何度もご足労願いましてすみません。刑事課長の小須賀と申します」そう言って軽く頭を下げる。 「あの、逮捕された人が真犯人じゃないとか聞いたんですけど、どういうことですか?」 「被疑者……、正確には被告人ですが、今になってアリバイがあったことがわかったんですよ。当日の夜、ずっと近所のホテルに泊まっていたようです」 「じゃあ、主人を殺したのは誰なんですか!」  そう言った河野摩季を見て、小須賀は『芝居をしているな』と思う。負けるわけにはいかない。 「あなたですよ」  河野摩季の表情が固まる。 「え、どういう……?」 「梶原がすべて自供しました。梶原は、全体の絵を描いたのはあなたで、自分は協力したにすぎない、カネのこともあって言うことを聞くしかなかった、などと言っていますが、あなたのご意見も伺いたい」  相手の表情がみるみる青ざめていく。その様子を見て、小須賀は「勝った」と胸をなでおろす。  真相は次のようなものだった。  よその男と不倫していることがバレて離婚されそうになっている河野摩季と、河野尚一から多額の借金をしていて返せる見込みのない梶原の利害が一致。  ふたりは共謀して河野尚一を殺害することにした。  殺害した死体は、生命保険金受領のため、すみやかに発見されなければならない。  どうやって警察の目をごまかすか。  そこでふたりが考えたのが、実行犯でないほうの人間が、状況証拠になるようなものを捏造し、そしてわざと逮捕され、頃合いを見計らってアリバイを主張し、捜査を攪乱するというものだった。  検索履歴を残して発見される、近所で凶器らしきものを買う、そして公務執行妨害でわざと逮捕されるというのも、筋書きのひとつだったのだろう。  捜査本部は見事にそれに嵌められたことになる。  あらためて河野摩季の自宅に家宅捜索に入ると、被害者の血液が付着した衣類と、刃渡り三十五センチの柳刃包丁が発見された。  言うまでもないが、河野摩季が不倫していた相手というのは、梶原だった。  結果論だが、梶原を逮捕したことは間違っていなかったことになる。捜査一課長はお咎めなしとなった。 「課長はいつ、梶原と河野摩季が共謀してると気づいたんですか?」戸部が小須賀に尋ねる。 「いや、確証があったわけじゃない。河野摩季にカマを掛けたのは、正直言ってバクチだった。でも梶原が実行犯だとしたら、あまりに杜撰だと思ってはいた。前科持ちの梶原は、こっちの手口もそれなりに知っているはずなのに、検索履歴を残すなんてミスをするはずがない。とすると、ヤツはわざと自分が捕まりやすい状況を作り出していたわけだ。その理由は、実行犯を庇うためか、それともこちらを手玉に取るためか。結果的には後者だったが、いずれにせよ、梶原は実行犯と密かに通じているのは間違いないと判断したんだ」 「ホンブの宮畑捜査一課長も、課長のおかげで命拾いしましたね。梶原を釈放して、真犯人も捕まえられない、となるところでしたから」 「礼のつもりか知らんけど、昨日の晩、宮畑さんがうちまでわざわざ菓子折り持ってきたよ」  一件落着、と言いたいところだが、小須賀の胸には一抹の不安が残る。  今回は裏をかかれた形となったが、インターネットの検索履歴が裁判で有力な状況証拠として採用され、それで有罪となるなら、一件の犯罪を裁くには良いことかもしれないが、長い目で見れば冤罪や誤判を生み出すことにならないだろうか。  実際、あのタイミングで梶原がアリバイを主張していなければ、状況証拠のみで梶原が殺人の実行犯として有罪判決を受けていた可能性は高い。  そして、検索履歴によってその人の動向が推察できるというならば、とある事件が発生した場合、大手IT会社が膨大な検索履歴のなかから犯人と推測できる人物をすみやかに割り出すということが可能になっているのではないか。  つまり、警察よりも大手IT企業のほうが早く犯人を見つけ出すことができるようになっているのではないか。 「怖い世の中になったもんだ」思わず、独り言が漏れる。  パソコンや携帯電話などの情報端末の向こう側には、いったい自分に関する情報がどれほど蓄積されているのだろう。  手元に置いていたスマホがスリープモードになり、画面の光が消えた。  暗くなった画面に、自分の顔が映り込んでいる。 了
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