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(完結・ショートショート読切)
むしあつい夏の日の暮れ。
空は、オレンジ色と紫のグラデーションに塗りこめられている。
「え? リョウくんなら、お父さんがお迎えに来て一緒に帰りましたよ」
キョトンとした顔で答える若い保母に、母親は、つかみかかりそうなイキオイでツメ寄った。
「リョウに父親なんていません! 2年前に事故で亡くなったんですから……」
「で、でも、リョウくんも、お迎えの男性のことを『パパ』って呼んでいたから、わたし、てっきり……」
「ふざけないでよっ! アナタ、いったい誰にウチの子を渡したの!? 今すぐ連れ戻して! ねえ、早くったらっ!!」
「お、落ち着いてください、お母さん! とにかく、すぐに警察に電話を」
園庭に大声で響きわたる押し問答を聞きつけて、年かさの園長がスッ飛んできた。
おりしも、近所にはパトカーや救急車などのサイレンが、いくつも重なりあって聞こえはじめて。
(何か事件でもあったのかしら? まさか、リョウくんの身に関わることで……?)
園長が、ふるえる指で携帯電話のタッチパネルを押そうとしかけたとき、
「リョウッ!?」
母親が叫んだ。
凍りついたその視線をたどれば、保育園の門の外の街灯の下で、ウッスラとゆらめく人影があった。
園児服を着た小さな男の子が、暗い色のスーツ姿の男に手を引かれて立っている。
母親は、ガクゼンとした。
(まさか……アナタ……?)
街灯の薄い明かりに照らし出された背の高いサラリーマン風の男の風体は、たしかに、2年前に交通事故で亡くなった自分の夫によく似ていた。
(ウソよ、どうして、アナタが? リョウを『お迎え』にって……まさか、リョウをアナタのところに連れて行く気じゃ……!?)
恐ろしい疑念が絶叫となって母親のノド元までこみあげてきた瞬間、スーツ姿の男の手をほどいて、幼い子供だけが両手を広げて笑いながら走ってきた。
「ママーッ!」
「リョウッ!」
母親は、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込みながら、息子をギュッと強く胸に抱きしめた。
「いったい、今までどこに行ってたの!?」
泣きじゃくる母を不思議そうに見ながら、息子は答える。
「パパが、公園につれてってくれたんだよ! いっしょにブランコに乗って……」
そのとき、いきなり園庭に1台のパトカーが走り込んできて、制服姿の警官が1人飛び出してきた。
園長は聞いた。
「なにかあったんですか?」
「実は、3丁目の○○荘というところで放火殺人があって。その捜査中でして」
警官が答えると、母親がギョッとなって立ち上がった。
「そ、それって、……わたしと息子が住んでいるアパートです!」
警官は、驚いて目を見開いて、
「そうですか。では、アナタがたは、アパートから離れていて不幸中の幸いでしたよ」
「え?」
「3階に住んでいた男が、アパートにいた住人をかたっぱしから出刃包丁で襲ってから、部屋に火をつけたんです。現在も、包丁を持ったまま付近を逃走中でして」
すると、もう1人の警官がパトカーから出てきて、
「逃走中の容疑者が、ついさっき身柄を確保されたと本部から連絡がありました!」
「ああ、それじゃあ……」
(夫は、息子とわたしを事件現場に近づけないために……)
そう思いながら母親が街灯のほうを見やると、そこにはもう、人影はなかった。
そういえば、もうすぐお盆だ。
(ホントなら、こっちが『お迎え』をしなきゃならない時期なのにね)
と、母親は、心の中でフッと思った。
耳のそばで、かすかに、なつかしい笑い声が聞こえた気がした。
END
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