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途中で目が覚めて、時計を見ると11時半だった。トイレに行きたくなって下に降りていくと、ダイニングテーブルの上の透のご飯がそのままになっていた。
えっと思って玄関に行ったら鍵が締まってない。つまり透はまだ下にいるということで、僕は様子を見にそうっと階段を降りて行った。
すると透は、まだ真っ白なキャンバスの前にじっと座ってた。
あれから4,5時間は経ってる。筆も取らず、何も描かずに、ただ座り続けて……そんなこともあるのかもしれないけど、僕が知っている限りそれは初めてだった。
下まで降りて後ろに近づき、「透」と声を掛けた。
透はキャンバスの方を向いたまま「ん?」と僕に続きを促した。
「ご飯、食べないの?」
「ああ……うん。もうちょっとしたら」
何となく様子がおかしいと思ったけど、なんて訊いたらいいのか思いつかなかった。
その時ふと、あの絵が目に入った。新入社員の人からもらったっていう絵が。
「あの絵、どうしたの?」
視線で絵を捉えながら訊いたら、透は何も言わなかった。もらった、とも。預かった、とも。それどころか、少し苛立った声で「悪いけど、ひとりにして」と向こうを向いたまま……
胸がずきんとした。
ひとりになりたいときだってある。それは分かる。でも、言葉の意味以上に僕は、透の世界から追い出された感じがして……
どきどきする心臓をなだめるようにパジャマの胸の所を掴んでその場を離れた。
玄関を入って、立ち止まる。
まだどきどきが収まらない。なんだか怖い感じ。さみしい感じ。胸が苦しい感じ。
絵を描く透の世界のはじっこに座らせてもらっていた僕が透明の膜の外へはじき出されてしまったような、恐ろしい感じ。
あの絵のせい?
いや、僕が。僕が透を受け入れなかったせい。僕が最初に透を僕の世界から追い出した。律を育てる僕の世界に、僕を愛する透の居場所を作ってあげなかった。だから……
僕は心底後悔した。透はなんでも出来るから大丈夫って、放っておいたこと。律にかかりきりで透のことをちっとも考えなかったこと。透との時間を作ろうって思いもしなかったこと。
どうしよう、と思ったけど、僕の部屋で泣いてる律の声が耳に届いて慌てて三階へ上がった。
「ごめんね、りっちゃん」
急いで抱き上げて背中をとんとんしながら揺すった。
トイレに行きたくて下に降りたのに用を足してなかったことを思い出して、いったん下に降りてハイローチェアに寝かせてる間にトイレを済ませた。
もしかしてギャン泣きしてる律の声を聞きつけて透が来てくれるんじゃないかって思ったけど、きっと透は集中してるんだろう。僕が手を洗って駆けつけた後も、鉄階段はシンとしたままだった。
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