897人が本棚に入れています
本棚に追加
暗い部屋の中で律をあやしながら、頭の中は透のあの後ろ姿でいっぱいになっていた。
今まで透はいつでも絵を楽しそうに、というか……すっきりと気持ちよさそうに描いていた。筆を持ってどう描こうか考えているときですら、とてもきれいで澄んでいた。
でも今日の透は変だった。久しぶりにアトリエにいるのになんだか曇っていて、ちっとも楽しそうじゃなかった。
何か悩んでるの?
苦しんでるの?
透はそういうことは口に出さないから分からない。創作に関わることで僕に出来ることはないかもしれないけど、傍にいたかった。
眠った律をベッドに寝かせて、小さな体にそっとタオルケットをかける。
「ちょっとパパの所に行ってくるからねんねしててね」
ベッドを揺らさないようにそうっと降りて、ベビーモニターの端末を持って部屋を出た。
しんと静まり返ったリビングに透の姿はない。ダイニングテーブルの上のご飯はやっぱりまだそのままで、すぐに玄関を出て階段を降りた。
透はあの絵の前に立っていた。
いや、ただ立ってたんじゃない。立ち尽くしているように見えた。そんな透の後ろ姿を見て、僕は近づくことが出来ない。階段を降り切ったアトリエの入口で、斜め後ろから透を見ていた。
やっぱりあの絵が原因なんだろうか。
目つきの悪い猫みたいな新入社員。ダブダブに来る子で晴れやかな表情の人はあまりいないから、目つきが悪いと言っても珍しくはないけど。
まさか透の知り合い?昔絵を習っていたと言ってたからその時の……今自分はこんな絵を描いてるよって渡してきた……とか。そんなシチュエーション、想像しにくい。
ふうっと透がため息をついた。そしてこちらを振り返り、僕の方へ歩いてきた。
「どうした?」
透はいつも通りの表情をしていて、いつでもこんな風に想いを後ろに隠してきたんだなと思った。雄弁な背中とは大違いだ。
僕の頭をぽんとして、横を通り過ぎて階段を上がっていく。
「透!」
胸が苦しくなって、名前を呼んだ。何を言えばいいか、どうしたらいいか、何も思いつかないまま。
透は途中で立ち止まって振り向いた。
悩みを人に相談するような人じゃない。絵の創作のことなら特に。だから僕に出来ることはない。でも、でも……
最初のコメントを投稿しよう!