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影
4月26日 晴れ 午前中に面白いことがあった。
いつもの公園へ律と向かっていると、律が突然、その場で右に行ったり左に行ったりして、しばらくそうした後に泣き始めた。
びっくりして「どうしたの?」と尋ねると、泣きべそ顔の律が僕を見上げて地面を指さした。
「ちゅいてくる!りっちゃんがいこーとしたら!」
始めはなんのことか分からなかったけど、やっぱり右に左に行って泣いている律の様子を見て、ついてくると言っているのが「影」のことなんだと気づいた。
雲一つない空にさんさんと輝く朝の太陽が背中側から当たって、確かに行く手を遮るように、前に影を作ってる。
影は今までだってあったはずだけど、律は今日初めて、はっきりとその存在に気づいたみたい。どうやっても影を振り切ることができないと分かって、とうとう立ち止まったままわんわん泣きだした。
律は本気で泣いてるけど、僕はもう可愛くて可愛くて……律を抱き上げてよしよし、と背中をなでてやった。
「りっちゃん、あれはね、影っていうんだよ」
「かげ……?」
「そう。ほら、ママにもあるよ。影のママも影のりっちゃんをだっこしてるね。ほら、おーいって手を振ったら、影のママもおーいってするね。仲良しなんだよ」
僕が大きく手を振っていると律も真似をして手を振って、律の影がはっきりできるように体の向きを変えてやると、真夏の影よりはまだまだ薄いそれが律と同じように手を振った。
律はそれですっかり泣き止んで、道路に下ろしてやると影に触るようにしゃがみこんで小さなお手々をデコボコのアスファルトの上に置いた。
「かげ、ちっちゃくなった」
「そうだよ。りっちゃんが立ったらちょっと大きくなるよ」
「おっきくなった!」
「ね、りっちゃんのまねっこが好きなんだよ」
律は立ったり座ったり、手を上げたり下げたり、ひとしきり影を楽しんでから、ふいにヒヨドリの大きなさえずりに気を取られて立ち上がり、飛び立った鳥の後を追いかけるように公園に向けて歩き出した。
僕もこうして何かを発見してきたのかな。
今では当たり前って気にも留めない無数の出来事を、こんなふうに受け止めて。
「りっちゃん、待って~」
小さい割に運動量は結構すごい律を追いかけて、薄い木陰をいくつも作る小さな公園へ足を踏み入れる。
まだ誰も来ていないそこは開店したばかりのお店に似て静かに整い、はっきりと青い香りがする。
今夜透が帰ってきたら、そのときにもし僕が起きてたら、律の小さな発見を教えてあげなくちゃ。
忘れないようにメモっとこう。
それを聞いた透の微笑みを想像しながら──
END
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