第二章

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第二章

 突然のプロポーズから三日。  環も哲郎も表向きはうまくやっている。家に帰れば哲郎が環の分の夕飯も用意してくれているし、後片付けや洗濯に関しては哲郎の分も環が請け負う。いつもと変わらない同居生活。しかし、あの夜の告白にお互い触れない。環の場合触れられない、と言った方が正しいのだが哲郎はどうなのだろう。 (何をこんなに戸惑ってるんだ)  哲郎の申し出を突っぱねたのは環だ。こんな自分に〝家族になろう〟なんて物好き、この世のどこを探したっていない。  哲郎は優しい。片付けや掃除に関してはからきしだめだけどそこは環が補えばいい。境に哲郎の家に通い始め、それから転がり込んで今まで家事のことで揉めたことはなかった。  哲郎のせいで業務中も考え事ばかりだ。流石に顔に出してお客様に心配されるようなことはなかったが、近しいスタッフは環の変化に気付いていたと思う。  最後のお客様を見送った後、大量に出た髪の毛のゴミを捨て終わった後に一息ついていると山本が話しかけてきたのでうっかりここ最近の哲郎の話をしてしまった。そこからはもう質問攻めだ。彼女の好奇心の強さは仕事の面では強い武器になるが、こういう場面だと些か面倒な時もある。 「っていうか、ダメンズのことひきずってるんです?」 「人の元カレをダメンズ呼ばわりするなよ」 「じゃあクソ男?」 「もっと酷くなったな」 「だって話でしか知らないけど大沢さんに対して一ミリもいいことしてくれてないじゃないですか」  歯に物着せぬ言い方で祐希の事をこき下ろす。確かに一般論で言えば山本の言う通りだ。間違いなく祐希はダメンズの部類に入るだろう。だが祐希は紛れもなく環の恩人だ。  あまり振り返りたくないが、学生時代にどうしても自分を偽れなくて親友だと思っていた同級生に自分がゲイであることを零したら翌日には町中に広まっていた。みるみると居場所はなくなり逃げるように東京に来た。垢抜けたい、それだけの理由で美容師の道を選んだ。きっかけはあまりよろしくないが、それで生計を立てられるようになったのは誇らしく思う。人生、何があるか本当に分からない。 「でも大沢さん、自分のこと過小評価し過ぎですよ。なんか自分のこと大事にできてない気がする」 「余計なお世話だよ」 「えー、でも仕事でもこん詰めすぎて死にそうになったりとかしてるじゃないですか。プライベートもそれだったら本当、身がもたないですよ?」 「俺だってもう大人だから、自己管理くらいちゃんと出来る」  そう自分で口にして後ろめたくなった。何故ならここのところあまりよく眠れていないからだ。哲郎との住まいにはベッドは一つしかない。セミダブルのベッドをシェアしている、とでも言えば聞こえはいいだろうか。当然、哲郎と共に寝ることになるのだが色々考え込んでしまって寝付けない。  二人は一体何なのだろう。  名前のつけられない関係。それに名前をつける時が来た。現状維持という選択肢は許されない。  確か哲郎にも山本と同じようなことを言われた。自分が店長と言う立場になって間もない頃。今もあの言葉があるから環は責任ある立場でこうして頑張れているのだ。  あれは店長職についたばかりの頃まで遡る。年末年始の忙しなさが落ち着いたくらいのタイミングで環が店長を務める店が新規オープンとなった。 「寝れてんの?」 「……寝れてるよ」 「嘘だね、顔やばいもん」  可愛い顔が台無しだなぁ。なんて恥ずかしい台詞よく言えるものだ。こう言うところがモテる要因なのだろう。  現に哲郎はよくモテた。ゲイバー界隈というのは噂も広まりやすく聞きたくなくても色恋の話題が耳に入ってくる。  馴染みのバーにたまに顔を出すと誰それと哲郎が付き合ったがすぐに別れた、などとよく耳にした。哲郎はモテたが誰一人として長く続かなかない。そんな印象を持っていた。そんな彼がどうして環に惚れてあれこれ尽くすのかが分からない。 「たまには泊まってもいいのに」 「嫌だよ。俺は自分の家じゃなきゃ寝れねえの」 「飯だけ食べてはい、さよならじゃ寂しいじゃん」 「セックスでもしたいの?」 「違うよ。一緒にいたいだけ」  哲郎に鍵を押し付けられるような形で渡された後、ここ半年ほど毎日のように哲郎の家に寄って哲郎が作った夕飯を共に食べた。代わりに部屋の掃除をする。至る所に転がっていたビールの空き缶も、脱ぎっぱなしのシャツも環の手により整理されて最初に来た頃よりも随分と住みやすい部屋になった。  夕飯を取りながらああだこうだと日々のことを話して……というよりも哲郎の業務のことを聞く側に回ることが多く自分のことは聞かれたら話す。 「まじな話、ここのところ顔色が悪くて心配なんだよ」 「まぁ、疲れてはいるけど」 「新店舗、任されたくらいからじゃねえか? やっぱり店長って忙しいのか?」  新店舗を任されてちょうど一ヶ月前くらい経つ。立地の良さもあって売り上げは目標を辛うじてクリアしている。だがそれもいつまで続くか分からない。 「店の基盤を作るのは大変だよ。元々あるところで働くのと新しいところで一からやるのは全然違う」 「でもそれが出来るってオーナーが思って環に任せたんだろ」 「一番古かったからだろ」 「環は自分を過小評価し過ぎるところがあるよなぁ」  哲郎はいつも環を困らせる。自分の実力はちゃんと自分で分かっている。過小評価なんかしていない。哲郎の方こそ環を過大評価し過ぎだ。 「回鍋肉、食べちゃうぞ」 「待て。お前ばかり食べてるじゃねえか」 「早い者勝ちだからな」  あんなに盛られていた回鍋肉の残りが少なくなっていた。自分がぼんやりとしている間に哲郎が食べてしまったようだ。慌てて箸を伸ばす。  もし哲郎の部屋に通っていなかったら食事すらまともに取れていなかっただろう。祐希と一緒にいた頃とはまた別の安心感。  本当にこれでいいのだろうか。  哲郎はこのまま関係を続けて何がしたいのだろう。 「あっ」  気付いたら皿の上の肉がなくなっていた。哲郎は逃げるように冷蔵庫までビールを取りに背を向けた。
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