第二章

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 Rebornは哲郎の務める会社と哲郎の家の中間地点にあった。主要ターミナルとして様々な路線が乗り入れる大きな駅で商業施設 も栄えており、ビジネス街としても有名な場所だ。 「ちょっと寄り道しててな」  哲郎の家の最寄駅に着いても雨は弱くなるどころかどんどん強くなっていた。哲郎は本当に一本しか傘を持っていなかった。この歳になって相合い傘というのも恥ずかしい。しかし哲郎は全く気にするそぶりも見せずに堂々と帰宅する人々の群れの中を歩く。傘を環の方に傾けて濡れないようにしてくれる辺り、哲郎が本当に大事にしてくれるのが伝わってくる。 (もしコイツの好意を受け取れたら、俺は幸せになれるのか?)  最近そう思うことが増えた。言葉の端々から漏れる哲郎の愛を素直に受け入れることが出来たら……だが、仕事も上手くいっていないせいもあっていつも以上に自分に自信が持てなかった。哲郎の人格を疑っているわけではないが、もし他の男に目移りしてしまったら。自分の可愛げのなさを理解しているからこそ、うまく心が開けない。  アスファルトが濡れて黒く光る。靴が雨を吸って靴下が湿って気持ちが悪い。どう行動しても心の位置が定まらずに座りが悪い。仕事のことも、哲郎のことも、全てが中途半端で嫌になる。だがどうして良いか環には分からないまま哲郎の方が濡れないように二人の距離を縮めるように寄り添うしか出来なかった。 「さすがにブランデーを置いてあるところっていうのは限られてるんだよな」 「ブランデー……? 料理にでも使うの?」 「違うよ。カクテルを作るの」 「え、お前ビールしか飲まないじゃん」 「違うよ。環のやつ」 「俺の?」  話の着地点が分からずに思わず怪訝な顔をしてしまう。すると哲郎は苦笑いしながらもカバンから一冊の本を取り出した。 「ほらこれ。環がいつだか飲んで潰れた……ビトウィーンザシーツ、だっけ?」 「……俺を酔いつぶしてどうするんだよ」 「そんな飲ませないよ。なんかこれ寝酒でよく飲まれるんだってさ。ウチ、いつだかの慰安旅行で当てたシェイカーとかバースプーンのセットあるし、作れないかなって」 「実験台にする気だな?」 「まぁ、そういうことにでもしてくれ。それで環が寝れれば一石二鳥だろ?」  哲郎は一度やると言い出したら譲らない性格だ。この家に通うようになってから言動の端々でそれを感じていた。環はこういう時口を出すのが苦手であるから哲郎の好きにさせている。  ブランデーにラム、そしてリキュールを並べ始べてカクテルレシピの本を見つめる。そして砂時計のような形をしたカップ(メジャーカップと言う名前らしい。哲郎が得意げに説明してきた)に酒を注ぐ。慣れてない手つきで酒をビチャビチャとこぼしながらもなんとかシェイカーに酒を注ぐと氷を入れてシャカシャカと振り始める。本人は格好をつけているつもりらしいがバーテンダーというよりは、酔っ払いがカラオケでマラカスを振っているような感じにしか見えなかった。 「お、良いんじゃねえか?」  バーのようにショートグラスはないのでロックグラスに酒を注いだ。あの日、バーで見た色合いよりも少し黄色が薄い。ゆっくりと口に運ぶ。 「……まずい」 「え? まじ? ……本当だ、薄い」 「やっぱり本職のバーテンダーには勝てないね」 「そりゃあそうだけど……愛ではカバー出来ないか」 「また恥ずかしいことを」 「アルコール入れば少しは眠くなるだろ? もしあれだったら泊まってもいいんだぜ?」  いつもサラッと口説き文句を口にする。本当、この男には羞恥心というものがないのだろうか。環はムズムズした感覚を抑えられずに一気に薄いカクテルを一気に飲み干す。 「……泊まる」 「え?」 「泊まっても良いって言ったのお前だろ」 「いや、そうだけど。マジ?」 「どうせ自転車ないし」  もう少しマシな言い訳をすれば良かった。だが上手い言葉が見つからずにいつも通りの可愛げのない言葉になってしまう。  哲郎と離れたくなかった。何でこんな気持ちになったのか分からない。仕事が上手くいってないせいか、不意の優しさに足元がぐらついたのか。少なくとも寂しさを埋めよう、という気持ちではなかった。遊馬哲郎という存在が確実に環の心に染み入って、隅の方に居座り始めていた。  急な泊まりであったが歯ブラシはいつも持ち歩いていたし、哲郎が環の店のシャンプーを使っていたので特に不便さは感じなかった。ほろ酔いでシャワーを浴びてポカポカした身体でベッドに入るのは何とも心地良い。後から風呂を上がった哲郎も髪を乾かしてから環の横に潜り込んでくる。 「一緒のベッドかよ」 「抱っこ必要かと思って」 「要らねーし」 「まぁそう言うなって」  ギューッっと抱きしめられる。不覚にも身体の力が抜けた。互いの心音がうるさい。洗いざらしの髪は哲郎幼く演出する。大きな子供が戯れついているみたいで思わず頭を撫でてしまう。 「おい、不意打ちで甘やかしはやめろ」 「抱っこって言う奴に言われたくない」 「だって、環、こういうことしないじゃん」 「嫌なら止める」  嫌じゃないけど、そう消え入りそうな声で口にしたきり哲郎は黙り込んでしまった。そしてバツが悪そうに呟く。 「青木にも、こうした?」  今まで真綿に包まれていた心が一気に冷えていく感じがした。環を包んでいたものを全て無理やり剥がされるような。でもこればかりは哲郎を責めることが出来ない──はっきりしないまま哲郎と付き合いを始めた環にも非がある。 「……ごめん。デリカシーなかった。俺、よく言われるんだよ。肝心なところでデリカシーがねえって」  本人がそんな気がなくても環にとっては追い討ちをかけられたようだった。デリカシーがない、なんて誰に言われた? 前に付き合っていた相手? 何故、哲郎の前の相手にこんなにも嫉妬している?  グッと胸ぐらを掴んでそのまま引き寄せた。そして分厚い哲郎の唇に噛み付くようなキスをした。自分の吐息から僅かなアルコールを感じる。  そうだ、酔っている。環は今酔っているのだ。だから何に対しても感情が激しく揺さぶられるのだ。 「俺は今、お前にキスをした。誰かの代わりでもないお前に……」  言いかけた言葉は哲郎のキスで塞がれた。そのまま舌が侵入する。哲郎に借りたブカブカの哲郎のスウェットの裾から、ゴツゴツした大きな手が環の腹を撫で上げ侵入してくる。
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