泥濘を征く

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 朔が生まれたこの町は、一方を崖がそそり立つ海、残り三方を山に囲まれている。町の外へ行くには三方の中でもまだ低い山の一本道を、それも雪がなく獣の害も少ない夏に通るしか方法がない。戦があった時代にはいい隠れ蓑として密かに知れ渡っていたらしいが、三百年の太平の世すらとうに終えたこの時代においては何の得もない、と朔は思っている。  ゆりかごから墓場まで、全てが町の中で完結し、わざわざ危険をおかし苦労をしてまで町を出なくても暮らしていける。それぞれの家はおおよそ代々仕事を継ぎ、朔もその道を歩いていたはずだった。  けれど朔は今年、あの時見えた別の道を選ぼうとしている。  思春期からくる反抗心、ではない。朔は一面濃くなった土を見て、額に滲んだ汗を腕でぬぐった。如雨露を農具用の棚に戻し、代わりに剪定ばさみを取る。  門と呼ぶには低い木枠近くに植えられたシャラノキ。最近大きく伸び始めた朔の背よりも高いそれは、白い花をいくつか咲かせていた。五枚の花弁と黄色の芯、遠くから見れば椿に似たそれは、薄い外周が細かく波打っている。それらがこぼれないよう朔はそっと二本の枝を切り落とすと、誰にも告げずに外へ出た。  釜炊きの白い煙がいくつか立ちのぼる朝の静寂を破らないよう、できるだけ細い道を選んで足を進める。こんなに穏やかにいても、町から出ていこうとする人間は零ではない。年に一人から十数人。朔と同じ十五の年であれば山を越えられる体力もつくとされているため、それ以上の年齢で希望するもの、主に男子が多い。
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