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11. 狂愛
茶番としか映らない光景を一瞥し、シファールは腕に抱いたルナの耳朶に甘く囁く。
「さて、そこの男のせいで吸血鬼化が中途半端となってしまいましたが……今度はじっくりと時をかけて、血の儀式を執り行ってさしあげましょう」
「ハディスの……せいって……?」
「その男は、毎夜あなたの血を吸っていたのでしょう? 私の血を飲んだことで吸血鬼へと変化しつつあるあなたの血を。愚かにも、その男はあなたの中に流れる私の血を吸い出すことで、吸血鬼化を抑え、あなたを人間に戻そうとしていたのです」
「嘘、そんなことしたら……」
がくがくと身体を震わせるルナに、シファールは容赦なく告げる。
「私の血に犯されたあなたの血は猛毒です。冷静を取り繕っているようですが、相当に弱っているのが見て取れますよ?」
(そんな――)
シファールの腕の中でルナはもがくように身をよじり、ハディスを見る。
「ルナ、心配ない。私は――」
「そういうことは、俺の腕を振りほどいてから言ったらどうだ? 本来のお前は、あんな吸血鬼に負けない力を持っている。実際、難なくあの娘をかっ攫って来たんだからな。だが、今のざまは何だ?」
くっ……とハディスは唇を噛みしめた。今も必死にカイの拘束を解こうとしているが、思うように力が入らない。
「あの娘を殺すことは俺も本意じゃない。無闇な殺生は嫌いだ。だが、あいつは花嫁にしてくれると言うんだ。殺されはしない」
犬歯を覗かせて笑うカイを見て、ハディスは彼の真意を理解する。
ルナの血に含まれていた、シファールの血。それを媒介に、シファールのみが近付くことが出来ないよう、城には強固な結界を施していた。
だから、カイはルナを城から連れ出した。それも、ハディスが諦めるよう自ら出て行くよう仕向けて。
一度城から出てしまえば、シファールがルナの元へやって来ることは必至だ。
カイは、ハディスが手を出せない状況を作り出した上で、ルナを渡してしまうつもりなのだ。
「カイっ!」
一喝するが、カイの手が緩むことはない。
各地を転々とし、時折思い出したようにハディスの城に顔を出す彼とは、実に二百年来のつきあいだが、友達思いの熱い一面があった。
「さぁ、ルナ。我が花嫁よ。参列者もいることです、我らの婚儀を始めるとしましょう」
「いや……っ! どうして私なの!?」
ルナの訴えに、シファールは牙を完全に穿つ寸前で顔を上げた。
「私を好きなわけでもないのでしょう? そんな私をどうして花嫁にするというの!?」
シファールは笑った。ひどく愉しげに、咽ぶように嗤笑した。ルナの顎を指先で持ち上げ、怯えながらも決して屈することのない、琥珀色の瞳を覗き込む。
「愛していますよ」
(!?)
思いがけない言葉に、ルナの目が大きく瞠られる。
「私は死にゆく者の断末魔が好きです。しかし、死んでしまっては、それ以上私を愉しませてはくれないでしょう?」
「何を言って……」
「村一つを滅ぼしたとて、覚えている者がいなければ興が冷めるというもの」
シファールの爪が嬲るように頬を撫で、ルナの背筋を悪寒が走る。
「村の惨状を、あなたはもう忘れないでしょう? 私の血を受けて不死の身となれば、その悲しみは永遠に失われることはない。私はそんなあなたを見ていたい」
シファールの狂気にあてられ、ルナはくらりと目眩を覚えるが、必死に自我を保とうとする。
「ああ、その目です……絶望して逃げまどう者たちの中で、あなただけが私を強く睨み据えていた。愛する家族の亡骸を胸に抱きながらも、その瞳は射抜くように私を見ていた。悲壮を湛えた瞳は、私をこの上なく甘美な気分に浸らせてくれます」
シファールはうっとりとした表情で言う。
「そんなあなたを、私は愛することが出来るのです」
「く……狂ってるわ……」
「そうかもしれません。ですが、無為に過ぎ行く時の中で私が歓びを得るのは、狂気に酔いしれているこの瞬間だけなのですよ」
シファールはうっすら微笑んだ。その微笑はルナの心を一瞬とらえたが、考えるよりも先に行為を再開され思考は霧散する。
首筋に落とされた冷たい唇の感触に、いよいよ逃げられないと悟り、ルナはぎゅっと目を瞑った。
だが次の瞬間、シファールはルナを抱いたまま後ろへ飛び退った。
突然のことにルナが悲鳴を上げると、目の前を白金の髪が流れた。
伸びてきた手がルナの腕を掴み、シファールから引き剥がすようにして強く抱き寄せる。
「ルナ――」
表情の乏しい顔が心配そうにルナを見ていた。
「ハディス……?」
その名を唇に乗せた瞬間、ハディスは地面を蹴って高く跳躍した。
風が凄まじい速さで下へ下へと流れて行き、ルナはぐっと息を殺した。
大きな月が間近に迫り、激昂するシファールの声とカイの叫ぶ声が遙か下から聞こえた。
それらを無視して、ハディスは瞬く間に森の中へと姿を隠し、ルナを草の上に降ろした。
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