3. 記憶

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3. 記憶

「どういうこと……?」  二人の会話を側で聞いていたルナの胸には、幾重にも疑問が渦巻いている。  答えを求めるルナの瞳に吸い寄せられるようにして、ハディスの手がルナの頬に触れる。 「何も知らなくていい……」  温もりの感じられない手に、どうしてかつきりとルナの心が痛む。  動けずにいるのは彼の術中に堕ちたからなのか、それとも自分の意志なのか。  分からずにただ目を瞠るルナの首筋に、ハディスは自然な流れで唇を寄せ、吸血鬼の接吻(キス)をする。  貧血でぐったりしてしまったルナの身体を労わるように、ハディスは静かにベッドの上へと下ろした。  支えていた手が消えるように離れていくのを見て、ルナは引き止めるように手を伸ばしたが、ハディスの姿は既にない。 (何も知らなくていい……?)  残されたのは謎めいた言葉ばかりだ。 (同族の血が禁忌(タブー)って?)  囚われていることよりも、何も分からないことへの不安が募る。  救いを求めて右手薬指から指輪を外し、ぎゅっと強く握り締めてみるが、いつもなら和らいでくれる不安は少しも取り除かれることなく、今は会えない母の面影が、ルナの心に得も言われぬ淋しさを呼び込んだ。  ――まだ大きいから紐に通してあげるわね……  優しい声がそう告げ、記憶の中の母はルナの首に茶色の紐をかけてくれる。胸元で光る指輪をよく見ようと、鏡の前へと駆けていき――。  そこでルナは違和感を覚えた。 (この指輪は、いつ貰ったものだったかしら……?)  母との会話をもっとよく思い出したくて記憶を探る。しかし、次に聞こえたのは期待した声とは全く別のものだった。  ――それは、約束の証だ……  記憶の奥底に眠っていた低い男の声と共に、さら、と。  長い白金の髪が視界を()ぎる。 (何、今の……?)  その声には覚えがあった。そして、その長い髪と色にも。 「そんなわけ、ないわよね……?」  誰にともなく尋ねた時、開いた窓からすっと風に乗って何かが舞い込んできた。 (何かしら?)  窓辺へと歩み寄り確認すると、それは小さな紙の切れ端だった。  ――耳聡いハディスに気付かれるから文にした。真実を知りたければ、そこの窓から飛び降りろ。その勇気に免じて受け止めてやる。  荒々しい筆跡で綴られた文の末尾には、カイという名が刻まれている。  手紙から顔を上げて窓から外を見下ろすと、漆黒の翼を広げたようにも見える暗い夜の森が、遙か彼方に巣食っている。別段高所が苦手ではないルナだが、ここから飛び降りることを想像し、背筋が凍りついた。  窓辺からほんの少し身を離して、握っていた手を開いてみる。 (でも、真実って……?)  開いた手の上には、小さいながらも確かな存在感を放つ銀の指輪が乗っている。  細かな金の粒子が一時の戯れとばかりに指輪に集まり、きらきらと幻想的な煌めきを与える。それはまるで、夢で見たものが現実に浮かび上がっているかのようだった。  そんな光景をもたらした光源を求めて、ルナはつと視線を上げる。  窓の外では、大きな満月が変わらずに闇夜を照らしているが、どうしてか不思議な既視感を覚える。  愛しむように目を閉じたルナの眼裏(まなうら)には、いつか見た月が静かに息づき始める――
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