4. 月夜の邂逅

1/1
前へ
/15ページ
次へ

4. 月夜の邂逅

「気をつけるのよ」 「ありがとう、お母さん。行ってくるわ」  元気よく告げ、ルナは獣よけの香り袋の入った小さな籠を手に、家の裏手に広がる西の森へと向かった。月明かりを頼りに草木の生い茂る森へと入り、確かな足取りで進んでいく。   狼の遠吠えが聞こえてくるが、香り袋の効果でその鳴き声が近付いて来る気配はない。  鬱蒼としていた森が開け、星の瞬く夜空を映し込んだ湖が視界一杯に広がった。  わあ、とルナは口元を手で覆う。初めてここを訪れた時も、その光景の美しさに心奪われて息をすることすら忘れてしまった。  足元に黄色い花がところ狭しと咲いている。見た目には小さく頼りない花だが、これらの花弁(かべん)(せん)じることで万病を治す薬となるのだ。  ルナは手に提げていた籠を下ろし、その中に黄色い花を摘んで入れていく。 「――人間の娘か」 「誰!?」  唐突に人の声がし、ルナはぱっと背後を振り返った。立ち上がって辺りをきょろきょろと見回す。首を傾げたところでまた声がした。 「上だ……」  そう言った声は本当に上から聞こえたので、ルナは慌てて空を振り仰いだ。  月の光がたゆたう水面に色濃く影を落とす木の上に、声の主と思われる青年はいた。  太い幹に背中を預け、張り出された枝に軽く膝を立てるかたちで足を伸ばし、優美に腰かけている。白金の髪がさらさらと夜風に流れ、月の光に照らされて青白く見える横顔は、村の教会に飾ってあった天使画から、この現世(うつしよ)へ抜け出したのではないかと思うほど美しい。  けれど、天使と違いその瞳は仄かな紅い光を帯び、儚げな容姿に艶美(えんび)な魅力を添えている。 「わぁ……」  きれいな人――  月光を紡いだ髪と、紅玉のような瞳に心が攫われる。 「何をしてるの……?」  青年の紅い瞳がじっとルナに注がれる。僅かな間をおいてから彼はつと視線を上げた。 「月を見ている」  その視線を追って、ルナも同じように夜空を見上げた。  丸いお月さまが静かに湖面を見下ろしている。 「月は好きよ。あなたも月が好きなの?」  子供らしい無邪気な笑みを浮かべて訊くと、青年は眉ひとつ動かさずに答えた。 「好きなわけではない。他に愛でるものがないだけだ」  ルナは小鳥のように小さく首を傾けた。 「月が嫌いなの?」 「別に嫌いではない」  沈黙が落ち、その隙間を満たすように風が吹き抜けた。水面が(あお)られ、湖面の月が歪み、再び静寂が訪れる。  青年はルナのことなど気にせずに月を眺めていたが、ふと思い出したように視線を落とし、僅かに表情を変える。  ルナはまだそこにいた。  素っ気ない態度をとられれば、誰しも興味を失い去って行くものだが、ルナはそんなことを思い付きもしなかった。無邪気な笑みを崩さずに青年の言葉を待っていると、その態度に根負けしたのか、静謐(せいひつ)な夜の空気を(まと)ったような凛とした声が降ってきた。 「そなたのような子供がこんな夜更けに……魔物に襲われてしまうよ?」 「まもの……?」 「そう……鋭い牙を持ち、人の命を喰らう」  ルナは大きな琥珀色の瞳をぱちりとさせ、それからにっこりと微笑んだ。 「平気よ。これがあれば狼だって近くに来られないわ」  ルナは、母親に渡された香り袋を持ち上げて見せた。 「獣よけか……。だが、本当に恐ろしい獣には効かないようだね」  言われた意味が分からず、ルナは首を傾げる。  その様子に、青年がふと笑ったように見えた。 「――近くで見るとなお小さい」  次の瞬間、目の前にいた。 「きゃあ!」  ルナは驚いた拍子に尻もちをついた。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加