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8. 西の森
ばさっとくぐもった音をたててドレスが風に煽られ、そのまま急速に落下する。激しく風が吹き上げるが、少しもルナを持ち上げてはくれない。
支えを失った恐怖に意識が飛びそうになり、指輪を強く強く握り締める。
「本当に飛び降りたのか」
耳元で呟く声があり、ルナははっとなって閉じかけていた瞼を開いた。
勢いよく落下していた身体が、ふわりとすくい上げられる。
状況を確認しようと顔を上げた瞬間、紅い目と視線が合った。
「きゃあっ」
「……人の顔を見て、きゃあ、はないんじゃないか、お姫様?」
「え、あ――」
ルナは漸く自分の置かれた状況を理解する。闇の狭間を漂うようにして浮いているカイの腕に、力強く抱きとめられていたのだ。
「あ、ありがとう……」
「飛び降りろと言った俺に、礼を言うのか?」
それでも、とルナは息を整える。
「飛び降りたのは私の意志よ」
琥珀色の瞳が射るようにカイを見据え、紡いだ言葉に真実味を与える。
誰に言われたからではない。真実を求めて、自らの意志で塔の窓から飛び立ったのだ。
「守られるだけのお姫様かと思っていたが……」
唇を楽しげにつり上げ、ルナの脇腹にまわしていた手に力を入れる。
「ちゃんと掴まってろよ。次は拾ってやらん」
「え? きゃ――」
身体がほんの少し沈み込んだかと思えば、カイはルナを抱いたまま空高く飛翔した。黒いマントが蝙蝠の羽のように風を切り、星々の合間を凄まじい速さで飛んでいく。
唸る風にかき消されないように、ルナは語気を強めて訊いた。
「お願い、教えて。真実って何? 何を隠してるの!?」
「……その目で見るんだな」
それきり、彼は何を尋ねても答えを返さなくなってしまった。
カイが空を一つ蹴る度に、景色が目まぐるしく変わった。
そして、どれだけの距離を飛んだのか、カイは密集した森林地帯へと緩やかに降りていき、形の良い適当な木の枝に着地した。着地の衝撃は殆どなく、ただ僅かに枝をしならせ葉を散らせた。
目的地に着いたのかと、周囲に目を配らせたルナの瞳が、あっ……と見開かれる。
「ここは――」
乱立する樹木、重なり合った枝葉の隙間から洩れる淡い月明かり。
ありふれた景色だが、この地に慣れ親しんだルナには分かる。
「西の森……西の森だわ!」
ルナの生まれ育った家の裏手に広がるウェッダの森を、村人はそう呼んでいた。そして記憶が正しければ、ここから森の出口まではすぐだ。
「お願い、下へ降ろして」
懇願するように言うと、カイは何も言わずに地に降り、ルナを解放してくれる。自由になったルナはすぐに辺りを見回し、ああ、と歓喜に震え口元を手で覆う。記憶が導くままに、村のある方へと駆け出した。
(お父さん、お母さん、マルス、みんなっ――)
息を弾ませながら、ルナは村を目指して必死に森の中を突っ切って行く。木の枝がドレスのレースを破いてしまっても、気にせずに走り続ける。すると、記憶の中にある通り、目の前に森の切れ目が見えてきた。
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