9. シファール

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9. シファール

「な……に……」  青ざめたルナの唇から、漸くその二音だけが零れ落ちる。  森を抜けたルナは、凍りついた表情で目の前の光景を見た―― 「嘘……嘘よ……」  家があった筈の場所に家は無く、それどころか村すら無かった。  白々とした月明かりに照らされ、乾いた大地が黒く視界を埋め尽くしている。家屋の残骸と思われる瓦礫の山があちらこちらに点在し、辛うじて形を留めている家はあっても、皆一様に廃家(はいか)と化している。 「いいか、これが真実だ。お前の帰りたかった村はもうない」  現実をはっきりと告げたカイの言葉が、深く心に突き刺さる。 「どうして……こんな……」 「馬鹿だね――」  すっと隣に現れた影が、ルナの肩に手を添えて言う。 「ずっと囚われのお姫様でいれば良かったのに、真実を知ろうとするなんて……」 (――!?)  声のした方を振り向いたルナの瞳が、驚きに瞠られる。 「ハディス……?」  青ざめた顔のまま名を呼ぶと、ハディスは目を細めて淋しそうに微笑んだ。  カイの方を振り返り、涼しげな佇まいに冷たい怒りを纏わせる。 「カイ……何故、ルナをここへ連れてきた?」 「何故?」  カイも負けじと声に怒気を含ませる。 「お前の目を覚まさせる為だ。お前はルナを馬鹿と言ったが、馬鹿はお前の方だ。この娘の血がどれだけ危険か分かってる筈だ。なのに――」 「危険? 危険って何?」 「知る必要はないよ」  ハディスは冷たく突き放す。  ルナは顔を上げ、真っすぐハディスを見た。  故郷の凄惨な光景を目の当たりにし、色を失った顔。けれど、その瞳に揺るぎない意志を宿してハディスに迫る。 「お願い、教えて。何を隠してるの?」 「ルナ、これ以上――」 「私はまだ何か忘れてるの?」  ハディスははっとなって、答えを待つルナの瞳を見つめた。 ルナの心を透かし見て、夜気で冷たくなった頬にそっと手を添える。 「思い……出したのか……」  頷く代わりに、ルナは薄く笑みを返した。  顔が青白いのは月明かりのせいではない。それでも、想いを告げるようにルナは出来得る限りの笑みをハディスに向ける。 「ルナ――」  愛しさを籠めて名を呼んだ彼の声が、しかしふいに緊張を孕んで途切れた。 「話は後にしよう……」  え、とルナが尋ねようとした時。  辺りに淀んだ空気が立ち籠め、ルナの背筋をぞくりとさせた。 「やっとお出ましか、勿体ぶりやがって」  カイが分かったような言葉を吐く。  心臓をわしづかみされたような不快感に、ルナは全身を強張らせた。 (何……この感じ……どこかで――) 「出てきたら?」  ハディスが闇に向かって冷やかな声を投げると、くくく……と押し殺した笑い声と共に、その男は忽然と闇の中から姿を現した。
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