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◆◆◆◆  思い切って玄関の扉を開けた俺は、やはり身を切るほどに冷たい外気にさらされ、こらえ切れずひとつ身震いをした。  分かっていても、アパートの外廊下は一桁台の外気がしんしんと骨まで染み入るような寒さだ。  それでも洗濯機の置き場が部屋の外という造りなのだから、出ないと仕方がない。  俺はフリースのジッパーをぐっと一番上まで上げると、洗濯機の蓋を開け、冷えきった衣類を脇に抱えたかごに移そうと手を伸ばした。    急いた手つきで洗濯物をつかんでは移す俺の耳に――ふいに背後から、カン、カン、という、誰かが錆びかけた階段を昇ってくる鈍い足音が届いた。  お隣の高橋さんは家族そろって帰省すると言って一昨日出ていったばかりだから、たぶん宅配か何かだろう。  俺がここに移ってきた時まだ生まれて間もなかった一番上のみつきちゃんは、今では小学三年生になっていた。かなりのおばあちゃん子である彼女は今度の帰省も楽しみにしていて、この間買い物帰りにばったり会った時には、通信簿を見せるのだとわくわくした顔で話していたのだった。  ーー今ごろおばあちゃんちで団らんしてんだろうな  今では遠くなってしまった団らんの記憶をぼんやりと脳裏に映しつつ、靴下をかごへと放り込む。  洗濯槽の底にへばりついた靴下のもう一方を掴みかけたところで、ふと足音が消えていることに気づいた。  宅配じゃなかったのか、と思いつつ振り返った先には、やせ形で長身の男がひっそりと立っていた。  髪はこざっぱりと整えられていて、もともと肉付きの薄かった頬は、まだ昼前と言うのに暗くよどんだ冬空のせいか、ずいぶん前に会ったときよりも落ちくぼんで見えた。  その身なりはまるっきり変わってしまったとしても、少し潤んで見える奥二重の瞳は、変わらぬやさしさをたたえていた。  ドサ、という音がした。  溢れだした洗濯物の山には目もくれず、男が言った。 「ほんとに――」  薄着をしているせいだろうか、その声はかすかに震えて聞こえた。 「ほんとに、待っててくれたんだ」  言うと祥吾は、顔をうつむけた。  見るからに薄そうなねずみ色のジャンパーの胸に、頬を伝い落ちた涙がいくつもいくつも染みをつくっていく。 祥吾は立ち尽くしたまま肩を震わせるばかりだった。  こんなところで二人で立ち尽くしていては、凍えてしまうだろうと俺は思った。 「入れよ」  小さく言って、玄関のノブを引いた。  自分から入っていこうとしていた矢先、後ろから祥吾が体当たりするような勢いで抱き着いてきたために、俺はもんどり打って祥吾もろとも小さな三和土になだれ込んだ。  いきなり硬い床についたせいでじんじんと痛む膝をさする俺の背後にぴたりとくっつき、祥吾は俺の存在を確かめようとするみたいに必死な様子で抱きしめてきた。 「……ゆうき――ゆうき――」  絞り出されたようなその声はみっともなくぶるぶると震えていた。  何泣いてんだよ、と軽口をたたこうとして――喉がひくついてしゃべれないことに気がついた。慌てて頬に手をやると、そこはいつの間にかぐっしょりと濡れていた。  そうしている間中ずっと、開け放たれたままの玄関から流れ込む外気が俺たちめがけて容赦なく吹き付けてきていた。早く閉めきってしまいたい気持ちもありながら、きつく縋りついてくる祥吾を振り払う気にはなれなかった。  中途半端にうずくまった姿勢のまま、胸にしっかりと回された祥吾の腕にそっと手を重ねて――明日からは二人分の洗濯をしなくちゃならないな、と思った。  二人分の洗濯、二人分の食事――  二人分の生活を、しっかり生きていかなくちゃならないと思った。   ー 完 ー
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