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◇ ◇ ◇
「三ツ屋圭介の司法解剖の結果が出たわ」
屋敷での聴取から数日後、捜査本部を氷堂小菊が訪ねてきた。彼女は警察から司法解剖の申請を受けた嘱託医である。
「直接の死因は腹部の傷で間違いないみたい。切っ先が肝臓に到達していたから、じわじわ失血して死んでいったようね。他に外傷は、後頭部に挫傷痕があったくらい。致命傷にならない程度の傷だけど、気絶はしたかもね。頭を殴られて気絶したところを、ナイフで一突き……ってトコかしら」
脳裏に情景を思い浮かべたのか、口唇を薄ら三日月形に歪めて笑う陰気な女。日向はどうにも彼女が苦手だった。
氷堂が医師になった理由は単純、死体フェチだからだ。解剖が生き甲斐と言うのだから、一生かかっても理解出来ない人種だろう。日向は一課の刑事でありながら血が苦手なのだ。
しかし、彼女が捜査に協力しているのは事実なので、当たり障りのない関係を構築している。社会人とは面倒な生き物だ、とつくづく嫌気が差す。
現場を洗った鑑識の地道な捜査の結果、三ツ屋の死体が発見された植え込み付近の花壇の角から血痕が見つかっている。そこには争った痕跡も残されていた。
これらの事実を氷堂の話と照合すると、犯人は三ツ屋と揉み合いになった。思わず突き飛ばすと、彼は花壇の角に頭を強かに打ちつけて気絶した。そこを持っていたナイフで刺殺した――ざっとこんなところだろうか。
そして、花壇からは被害者が遺した――ミステリでいうならばダイイングメッセージ――と思われる、血で書かれた文字らしきものも見つかっている。それは漢数字の「十」に似ていた。十よりも縦線が長いことから、十字架のようにも見える。血で描かれた十字架――どこか不吉なものを覚え、目の当たりにした瞬間、日向は身震いした。
「それと凶器のナイフだけれど、屋敷の住人の指紋は検出されなかったわ。むしろ三ツ屋の指紋がハッキリ残っていた。拭った形跡もなかったし、彼の所持品だったのかしらね? そっちで調べて頂戴。それから血文字、あれは恐らく三ツ屋が書いたもの。死体の指先に血が付いていたし、さっきも言った通り即死ではなかったから遺す余裕はあったでしょうね。どう、参考になった?」
「そりゃもう。ご協力、どうも」
ぶっきらぼうに告げると、彼女はじっとこちらを見つめてきた。何か気に障ることを口走っただろうか。
「……綺麗」
「は?」
ぽつりと吐き出された場違いな言葉に、思わず間抜けな声を漏らす。
氷堂は恍惚の表情で日向を熱っぽく見る。艶めかしい視線に、背筋がぞわりと逆立った。
「アナタ、すっごく解剖し甲斐がある身体してるのよね。ねえ、殉職したら私に解剖させてくれない?」
本気でこんなことを言っているのなら、正気の沙汰とは思えない。やはりこの女は苦手――いや、嫌いだ。
凍りついた日向に意味深なウインクを寄越すと、氷堂は艶やかな黒髪を揺らしその場から立ち去った。
「あれ、ひょーさん来てたんですか」
相楽が顔を覗かせる。氷堂とは丁度入れ違いになったようだ。どことなく安堵が滲んでいることから、彼女も氷堂が苦手らしい。
「アイツ、何で逮捕されないんだろうな……」
「そりゃまだ人を殺してないからじゃないですか?」
ぽつりと零した声は、死神医師には届かない。
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