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急転直下
捜査本部は美空遥香の主治医・田西耕司に対し、任意同行を要求した。
彼の来歴を洗ったところ、真面目一辺倒でエリートコースを歩んだ彼は、生来の真面目さが災いし、怪しげな宗教にのめり込んだ。知人の話によると、つい最近も宗教団体に金を注ぎ込み、120万の借金を拵えたという。美空瑞希の身代金と同額である。更に、過去に三ツ屋も同じ宗教団体に所属していたことも判り、捜査本部は色めき立った。
本部が思い描いた犯行の筋書きはこうだ。借金に追われた田西は主治医をしている資産家・美空家に目をつけ、令嬢である瑞希の誘拐を決行した。しかし運悪く、通り掛かった三ツ屋にその姿を目撃されてしまう。慌てた田西は持っていたナイフで三ツ屋を刺し、瑞希を連れて逃亡した――
しかし、当人は犯行を否認している。三ツ屋との直接の面識はなく、ナイフも田西の所持品ではないと言う。というのも、凶器となったナイフは美空遥香の祖母の形見であったらしい。遥香が大事に持っていたそれを田西が手に入れるのは困難だろう。
続いて捜査線上に上がったのは、俊太郎の秘書を務める燕沢という青年だった。暴君とも呼べる俊太郎を影から支える右腕だが、彼の父親は美空ホールディングスに蹴落とされたライバル会社の社長だったという。会社は倒産し燕沢の父は自殺、母親も幼い息子を残して蒸発した。流石に憐れに思ったのか、俊太郎は燕沢青年を引き取り右腕として育て上げたという。また、瑞希は燕沢青年にほのかな想いを寄せており、俊太郎も両者をいずれ結婚させるつもりだったようだ。
燕沢を犯人だと仮定した場合、瑞希誘拐の動機は父の復讐となるだろう。俊太郎の苛烈な気性を熟知している燕沢ならば、身代金を巡る騒動で美空ホールディングス及び美空俊太郎個人の株が下落すると容易に考えつくはずだ。身代金の額が低ければ低いほど、俊太郎への非難は殺到するだろうと。事実、彼は各メディアやインターネット上で痛烈な批判を浴びている。
しかし、燕沢にはいずれ結婚できる瑞希を誘拐するメリットがない。復讐が動機であれば、何故このタイミングで決行したのかなど、疑問点が多い。家族ぐるみの付き合いであり、仕事の関係上屋敷に出入りできる燕沢ならば――三ツ屋の存在はイレギュラーだったとしても――田西よりも犯行が容易かつ、いつでも実行に移せたはずだ。今でなければいけなかったのか、その理由は?
結局、本部が導き出した田西犯人説は状況証拠しか揃っておらず、燕沢犯人説もいまいち決定打に欠けていた。進展を期待されたが、捜査は振り出しに戻ってしまった。
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