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初動
日本という国は世界に比べて治安が良いとよく言われるが、それは間違いだ、と日向朱里は常々考える。そうでなければ毎日のように殺人事件が起こり、現場に駆り出される羽目になるはずもない。
日向は警視庁捜査一課に属する警察官。否応なく事件の対応に追われる身だ。日向の階級は警部補。今回の現場の指揮を一切任されている立場にある。ちなみに名前や中性的な顔立ちからよく女性と間違われるが、れっきとした成人男性である。
「日向警部補、今回のガイシャのことですが」
「何か判ったかい、マル」
「はい、ガイシャは三ツ屋圭介。47歳、無職。死因は失血死で、傷口の形状から鋭利な刃物により腹部を刺されたものと思われます」
部下の丸山巡査が淀みなく答える。街中で埋もれがちな素朴な顔立ちに、名前の通り丸眼鏡を掛けた青年だ。
日向は思案顔で顎をさすった。
「しっかし、無職の中年が何で金持ちの屋敷の庭で死んでんだ?」
被害者である三ツ屋は、大手株式会社社長・美空俊太郎邸の庭の一角で死亡しているのが家人により発見された。死亡推定時刻は深夜零時から一時の間。発見は今朝早朝四時。通報者は執事の太田透と名乗った。美空邸に住み込みで働いていると言う。
「それがどうにも厄介な話みたいっスよー、ヒナさん」
ストレートの明るいセミロングヘアーをがしがし掻き毟りながら、相楽朋子巡査が現れた。困った時の彼女は、仕草がおっさん臭くなる癖がある。黙っていれば可愛らしい顔立ちなだけに、玉に瑕過ぎる欠点だ。
「お前……少しくらい自分の性別自覚しろよ。今の、カンペキおっさんだぞ」
「性別なんて産まれた時に母親の胎内に忘れてきちゃいました」
「忘れちゃ駄目なヤツだろそりゃ」
相楽との、無駄話というよりは出来の悪いコントのような掛け合いはしょっちゅう繰り広げられる。そのためいつの間にか本題から逸れてしまう。
日向は軽く咳払いして逸れかけた話題を軌道修正。
「で? 何が厄介だって?」
「昨晩この屋敷で起こった事件は、殺人だけじゃなかったってコトです」
相楽は驚くべきことを表情も変えず、さらりと言った。
◇ ◇ ◇
応接間には、美空家の面々と刑事が集まっていた。これから事情聴取が始まるのだ。
ソファに腰掛ける家人達は思い思いの仕草で刑事の厳しい視線を紛らわせている。例えば次女・葵は有事だというのにスマートフォンをいじるのに夢中だし、執事の太田は落ち着きなく辺りをキョロキョロ見回している。その中で流石と言うべきか、主人の俊太郎だけは我関せずという表情で退屈そうに目を細めていた。
この顔ぶれの中に妻と長女はいない。と言うのも、
「教えていただきたいですね。何故長女の瑞希さんが誘拐されたのをこれまで我々に通報しなかったのです? 脅迫状まで受け取っていながら、です」
日向の厳しい追及に、家人達は気まずそうに目を逸らした。
長女・瑞希は殺人事件が起こったほぼ同時刻に何者かに誘拐されていたのだ。しかし家人は誰一人として警察に通報しなかった。確認した脅迫状には「警察には通報するな」とは一言も書かれていない。普通ならば取り乱し警察に縋るものだが、見た限りその可能性も低そうだ。
「警察に通報することで瑞希さんに危害が及ぶとお考えですか?」
「それはあり得ませんね」
皮肉混じりに詰問すれば、即座に俊太郎が鼻で笑った。
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