吠えない犬

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部屋がある場所までは電車に乗って、たった一駅。だがそれがまた長かった。まず中々電車が来ない。かなりのローカル列車だから平日ですら一時間に一本のペース、休日ともなると二時間に一本だ。一本乗り遅れたら、さびれたホームで待ちぼうけを食らう。ホームには、数台置かれた年季の入ったベンチの他は自販機すら設置されていない。代わりにいたるところから野草がひょいと顔を覗かせ、野草の無法地帯。生え放題になっている。線路内を少し先に行ったところには住宅街に繋がる抜け道があるらしく、男子高校生だけでなくおばあちゃんまでもが平気で線路内に降りていっていた。 そんなホームだ。することもなければ、喋ることもない。ただベンチに座り続ける。交わした会話は少しでも間を持たせようとして言った「まだ少し冷え込みますね」と返ってきた「そうですね」だけ。腕時計の針は、壊れているのかと思うくらい何度見ても同じ位置を指している。電車も遅延を疑うほど現れない。男を見れば、背もたれにもたれかかることもなく背筋をぴんと伸ばしたまま座っている。相変わらずきのこ頭に目元を隠していて、何を考えているのか計り知れなかった。また唇が少し震えていた。
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