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退院の日に迎えに来てくれたのは健だった。
来てくれなんて頼んでないし、退院の日が決まったとも連絡してないのに不思議だったけど、一人で不安だったから有難いと言えばそうだ。
しかし、何故悟が来ないかが気になって知り合いの知り合いって事だったけど、もしかして何か知っているかもしれないと思って聞いてみた。
「あの…健さんって……悟とどんな知り合いなんですか?」
「悟?」
それは誰?って素の顔をした健は、ハッと何かを思い出したように「うん」と頷いた。
「え?それはどういう意味ですか?あんまり知らないんですか?」
「いや、あのさ、その事を含めてケンコーくん…いや、憲好くんに話があるんだ。
ちょっとこのままお店まで来てくれるかな」
「今日からバイトは…いいですけど…」
入院中も退院する時ももう大丈夫だと思っていたけど、ロビーまで歩いただけで体の重さを感じていた。そんな事を言ってる場合じゃ無いから働きたいけど倒れてはまた迷惑をかけてしまう。
「…どうだろう…」
「バイトは無理だろ?入院何退屈だったのなら後でお風呂にでも連れていくけど?」
「いえ、お風呂はいいです、病院で入ったし」
健とのお風呂は楽しかったけど、懲りたと言っていいくらい疲れるのだからほんとうに無理だろう。
しかし、何の脈絡も無くいきなり風呂に誘われるって事は臭いのかもしれない。
「何で服を匂いでんの?」
「お風呂は入ったけど服は洗濯してないから」
「女子はいないよ?」
「……女子?…じゃなくて」
どこから話しが逸れたのかわからなくなって言葉に詰まると、「任せとけ」って言うから任せたら、「女子は柔軟剤の匂いが好きなんだ」と言ってファーファのフレグランスをシュッシュと掛けられた。
健は楽しい人だけど何かズレてるって思うのは気のせいかな?
「あの、それよりもバイトじゃ無いなら何で店に?」
「ちょっとね、あ、無理はさせないからね」
「いいですけど……」
何だろう、いつもふざけている健が妙に神妙な顔をしている。つまりは迷惑を掛けたせいでバイトをクビになるのかもしれないが、社会保険も無いのだから「明日から来なくていい」と言えば済む筈だ。
「話って…何ですか?」
「うん、それは店に着いてからね」
「はい」
もう黙ってついてくしか無い。
健は淡々と退院手続きを済ませて、入院費も立て替えてくれた。
「憲好くんが頑張ってるのを知ってるから払ってあげたのは山々だけど、お金はバイト料から引かせて貰う、これは一つ勉強になったと思え」と言われたけど、それは勿論だ。
払ってやると言われても受け取る訳にはいかないお金だろう。
……働いた1ヶ月分が吹っ飛んだけど。
でもお店までのタクシー代は健が払ってくれた。
中身の無い財布を取り出すと、こういう事はありがとうと笑っておけばいいらしい。
昼に退院したから店に着いた時はまだ開店してない時間だった。無人の店内を見るのは初めてだったからこんなにも広かったのだと驚いた。
でももっと驚いたのは椅子がテーブルに乗っているだけで誰もいないと思っていた客席にポツンと座る項垂れた仔犬を見つけた時だ。
「悟?!」
思わず大きくなった声に、垂れていた頭を上げた悟は泣きそうな顔をしている。
「え?どうしたの?」
「うん、お見舞いに行かなくてごめんね」
「そんな事はいいよ、心配したんだぞ、お前も酔って寝てたから何かあったのかと思ってたんだ」
「違うよ」
まずは座れと言われたから、座った。
お店の真ん中くらいの4人がけのテーブルだった。椅子を引くと妙に音が響いてビクッと体が揺れた。
「どうしたの?そんな顔をして、叱られた犬みたいだぞ?」
硬い空気を和らげたくてふざけたのに悟は乗ってくれなかった。
代わりに、もう一度「ごめん」だ。
「何を謝ってるの?」
「俺のせいだろ」
「何が?」
「ケンコーが倒れたのは俺のせいなの、俺がちゃんと見てなかったから…」
「何だよそれ、見てなかったって?俺の入院は宴会で飲み過ぎたせいじゃ無いし、悟が俺を見張る義務なんか無いし、無理したのは俺だし関係ないだろ」
「違うんだよ、ごめん、実は嘘をついてた」
下を向いたまま、再び「ごめん」と謝られ、何故かギクリと身体が揺れた。
「………嘘?……って何?」
「俺が…前にさ、俺は24だって言ったのは……実は本当の事なんだ」
「は?いや、ちょっと信じられないけどまあいいよ、で?それが?」
20歳でも怪しいのに24と言われれば、悟には悪いけど簡単には信じられない。
しかし、例え本当に24歳だったとしてもそれが何なのだ。
改まって告白するほどの……いや、事件と言えば事件かもしれない。早速大学に行ってからみんなに話して笑いたくなった。
「24歳の悟くんは何故そんなウソを付いたの?」
「歳が何歳でもどうでもいいってのはわかってる、そうじゃなくてさ、俺はあの大学の学生じゃないんだ」
「……………え?」
悟と初めて会ったのは入学してすぐの初講義だ。
その後も4ヶ月くらいほぼ毎日大学に来ていたし授業も受けていた。
「何言ってんの?酔ってる?」
「酔ってないし、今言った事は嘘じゃない、ごめんね」
もう一度、4回目の「ごめん」を言って立ち上がろうとする悟を止めた。必死で止めた。
とても信じられる話では無いが、悟の顔を見ていると冗談には思えない。
このまま逃すと2度と会えないような気までしてくるのだ。
だって、もしも学生じゃ無いなら悟は何者なのだ。住所も何も、本当に個人的な事は知らない。
「待って、待って、何があったのか知らないけどさ、俺は何でもいいんだよ、悟と友達でいられるなら何でもいい、な?それでいいだろ?」
「俺もケンコーは友達だと思ってる、初めて出来た友達なんだ、楽しかったし、羨ましかったし、もっと一緒にいたいと思ってる」
「いたらいいじゃん、バイト先は一緒だし、学生じゃ無くても会おうと思ったら会えるだろ?」
「うん、そうしよう」
そうしよう、そうしよう。
そう言って笑う悟はやはりどこか変だった。いつもなら軽口を交わして揶揄いあったり冗談を言うところなのに何だか距離が遠いのだ。
「じゃあ"また"会おうな」なんて、そんな空約束だけを交わして悟は行ってしまった。
何故「明日」では無いのか。
「今度」なんていつ来るともわからない約束は約束じゃない、社交辞令だ。
誰もいない店に一人で取り残され、訳がわからなくて呆然としていたせいで、気が付いていなかったが、いつの間にか健はいなくなっていて、変わりにニッコリスーツのオーナーがこっちへ来いと手を振っていた。
足が自動で動いているみたいだったけど、ニッコリスーツに優しく連れ出されて妙に柄の悪いベンツで部屋まで送ってくれた。
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