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せっくすってした事ある?
寝ぼけ眼が同じく寝ぼけ眼に聞いたダイレクトな質問だった。
殆ど寝て過ごした授業が終わった後にお決まりの安いパンを食べる為に中庭にある植樹を囲むレンガの柵に並んで座っていた。
何故悟が眠そうにしているのかは聞いてないが、こっちは疲れて帰った夜に「あんな事」があったのだ。
浅い眠りではバイトの疲れが取れず、眠くて目の前がモヤが掛かっているのに、腹立ちや疑問が渦巻いて、生々しい声が頭から離れない。
そのせいで、ふっと浮かんだ事を何も考えず口にしてしまったが、相手をよく考えたらこの手の話は苦手らしい悟だ。拳か足が飛んでくるかと思わず身構えた。
しかし、当の悟は不意打ちとも言える極プライベートな質問にも驚いたり怒ったはせずに、冷静な……いや、寧ろ冷たいくらいの無表情で「どうしてそんな事を聞くのか」と返して来た。
「え?あるの?」
「そんな事を聞かないで欲しいし答えたくも無い」
妙にキッパリとした口調でそう言ってフイッと目を逸らす悟を見て、これは何らかの経験があるのだと確信した。
ちょっとショックだった。
あれはどういうものかとか、どのくらい興味があるのかとか他愛のないボーイズトークがしたかっただけなのだ。
「怒った?」
「怒って無いけど何が知りたいのか俺にはわからない」
「いや、そのさ、俺ん家のアパートのロフトに……ロフトって言ったのは不動産屋で本当は屋根裏なんだけどさ、変な人が住んでて……」
「屋根裏?」
「うん、マジな屋根裏、俺の部屋の上、天井と屋根の間」
「え?嘘、銀……いや……あの…屋根裏?」
「ぎん?ぎんって何?」
「何でもない、あの誰が?誰が住んでるのかケンコーは知ってる?」
「名前は堂島って言ってたけど本当か嘘かわからないからそこはよくない?…ってかさ、驚くのはわかるけど…」
「そこ?」と聞きたいくらいびっくり顔をする悟に、話を持ちかけた方が驚いた。まだ核心は何も話して無いのだ。あのボロい部屋に来て「ここだよ」と天井を指差しているならわかるが、間取りを見てないのだから、それなりに人の住めるスペースを想像するのが普通だろう。
「まあいいや、それでな、姿は見えないけどはっきり言って同居してるっていいくらい近い所にいる人がさ、男を連れ込んでアンアン言いまくるんだよ」
「…………嘘…マジで?」
朝に会った時から半目でうつうつしてたくせに眠気が吹っ飛んだらしい、う〜ん、と考え込んだ悟は顔も上げずに2回目の「マジで?」と呟き「誰と?」と聞いた。
「誰かは知らない、でも顔は見たよ」
「え?どんな人?」
「うちの上に住んでる人はびっくりするくらい美人な男でさ、相手の男はスーツを着た普通の人、イケメンと言えばイケメンだけど…そうだな背は高かったかな」
「イケメンで背が高い?!他は?他に何か特徴ない?!」
「他には……多分だけど口の横に黒子があったと思う、何?屋根裏に住んでる知り合いでもいるの?」
悟が何に驚いてるかのわからなかったが、1番驚くポイントと言える男と男はスルーだった。
見た目通りほんわりぼんやりしているのか、しっかりしているのか、時折見せるキレ芸が本性なのか、バイトを含めてかなり一緒にいるのに悟の事は未だによくわからない。
「無い無い、そんな知り合いいるわけない」と、真っ赤な顔をしてブンブンと手を振り回す悟はぼんやりほんわりした悟だ。
「一回うちに来る?」
これはちょっとした勇気が必要な誘いだった。
友達を自宅に呼んだ事は無いし、友達の家に行った事も無いのだ。
しかし、悟なら汚く古いアパートの何も無い部屋で結局は食べれなくて、でも捨てる事も出来ないでいる干からびた大根が放置してあっても何も言わないと思えた。
勿論「行く、行きたい」という言葉を期待していたのに、またブンブンと手を振り回す。
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