ダイニングナーシー

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「行かないよ、行かない、バイトあるし忙しいし俺も貧乏だし怖いし遠い」 「何だよその取っ付けたような羅列、今日とは言ってないし、遠いってさ、俺の住んでるアパートがどこにあるか言ったっけ?」 「え?!言ったよ、聞いたよ、いつだったか忘れたけど学校からもバイト先からも自転車で30分とか40分とか聞いた」 「そんなに慌てなくてもそうならそうでいいよ、どうしたの?」 ブンブン振り回す手に首振りまで加わった。 頬は真っ赤で焦る顔は超が付くほど可愛い。 ギャップ持ちの悟は時たま野生の仔猫になるが、今は仔犬感が爆発していた。 「可愛いなお前、マジで20歳って本当かと思うわ」 「20歳じゃ無いよ、本当は24」 瞬時に真顔になれるくらい「可愛い」と言われるのは嫌いらしい、そこがまた可愛くて散髪したてでサッパリした髪を思わず撫でた。 「それウケる」 笑える冗談じゃ無いが、可愛いって言われたく無い気持ちはわかるから余計に可愛い、これを言ったら怒るのはわかっていたが「拗ね方が女の子みたいだ」といつも思っている事が思わず漏れた。そしたら「じゃあ笑いながら死ね」と躊躇無い首締めだ。 「ちょ…おい!苦しい!ぐえ!」 「可愛い俺から愛のこもったお返しだ」 「いや、マジすぎるだろ!!こら!」 思い切りが良いって言えるくらい突発的に手や足が出るのは知ってたが加減無しに首を絞められては誰だって抵抗だってするだろう。本気の首絞めは最早反射で抵抗するレベルだ。 しかし、悟のように手を上げる勇気も無ければスキルも無い、唯一の手段としてガラ空きになってる脇腹を揉み揉みすると「ギャア」と喚いて座り込んだ。 勝ったと思ったのに………、今度は腹に向かって頭突きが飛んできた。 いくら悟が本気だとしても、ある意味男同士の戯れ合いだと思ってたからビックリした。 逃げる間も無い見事な連続技だ。だけどこっちだってやられてばかりはいない、倒れ込んだついでに悟の腰に足を巻いてやった。凶暴性を隠し持つ仔犬くんの弱点はもうわかっていた。 手加減なしに脇腹を揉み揉みしてやると悲鳴と笑い声とやめろが混じっているが手を緩める気は無い。狙いを定めず無闇に落ちてくる拳骨は頭とか顔とか肩とかを打つが、痛いと言うより必死さが面白くて、やめられなくて取っ組み合いのような様相になって来た。 痛いけど楽しかった。 悟は本気で怒っているみたいだけど嫌われる心配はない所が楽しい。生活は思ったよりも大変だけど大学に来て本当に良かったと心から思った。 「悟、大好き!」 ひょんな事で手に入れた大切な友達は遠慮なく殴ってくるけど、何も知らない世間知らずを笑ったり蔑んだりもしなかった。謎めいた所は解明されて無いけど素が丸出しだからそのうちに暴露されていくだろう。 思い余って抱き着いた頭はヘッドロックになっているし「離せ」と暴れる悟は益々ボカスカ殴ってくるけど楽しいしか無かった。 しかし、暴れた場所が悪かったらしい。座って話していた植込みの周りは構内コンビニや牛丼屋、学食の前だった。 時間は昼時なのだ、沢山の学生に見られていたらしく、地面に寝っ転がっての取っ組み合いは襟とか腕とかを引っ張られ、間違えてくっ付けたシールを剥がすようにベリっと引き離された。 悟も同じ目にあってる。 そして、「やめろよ」とか「落ち着け」とか「やり過ぎ」とか、複数の声に宥められる羽目になった。 「喧嘩か?」と聞いて来たのは目立つくらい大柄な上級生だ。恐らく2つ3つしか変わらない筈なのに10も歳上に感じるくらい大人っぽく見える。 喧嘩する2人を牽制しているつもりなのか、ズイッと間に入ってくる様子は群れのリーダーを装うイメージだ。もう飛びかかったりはしないのに俺と悟を押さえている面々は差し詰め子分という配役になっている。 「喧嘩じゃ無いです、殺し合いです」と答えたのは向こうを向いたままこっちを見ない悟だ。 「喧嘩じゃ無いです、ふざけていただけで…」 誰に言い訳をする必要も無いのに、尻すぼみになったのは悟の後頭部を見ながらちょっと後悔してたからだ。 悟は幼く見える。 はっきり言えば今も「仔犬の2人組」と揶揄されるように人の事を言えないとわかっているのだが、自分の場合は餓鬼くさいとか、垢抜けて無いとか、ダサいとか、成長が遅いといった部類で、恐らく可愛いまま歳を取っていく悟とは種類が違うような気がする。 つまり悟は自分の容姿を本気で嫌がっているのだ。それは太っている事を気にしている誰かに、「デブ」と投げつける罵倒と同じだろう。 「ごめん、悟」 わざとらしく顔を背けたままこっち見てくれない悟の後頭部に謝った。 暫くは許してくれないだろうと泣きそうになっていたが、さすが悟だ。 クルッとこっちを見て「次に女みたいだって言ったら絶対に許さない、確実に殺すぞ、マジだからな」と言った。 「絶対に許さない」とは普通なら嫌いになるって意味だと思うのだが、あくまで正面からぶつかってくる気なのだとわかって嬉しくなった。 そこで「これからも…」と続けようとしたのにドッと湧いた笑い声に邪魔されてせっかくの友情宣言が悟に届かない。 悟の嫌いな「可愛い」が連発されて「仔犬」も多発、最悪な事に女子の集団からから出た「仲直りにチューしたら?」という提案にデカい上級生が乗ってしまった。 「それいいな、仔犬の仲直りってタイトルで学内新聞に持ち込もう、頬かな?お前らどっちがいい?」 どっちもこっちも無いが「口と口でキスをしててもゲイにすら見えない」とか「子供同士」笑うのはやめて欲しい。今にも「女の子」ってワードが出て来そうでこの場から離れた方がいいと思った瞬間だった。 決心したような強い足取りで前に出た悟が背の高い男に殴り掛かるのではないかと慌てたら、身長差おおよそ20センチの首にぶら下がって頭突きと見まごうキスをお見舞いした。 そう。それはチューじゃ無くてキスだった。 性的な意味も無く、普通なら冗談で済むのだろうが、悟の態度と雰囲気が殴る代わりの報復であると告げていた。 「行かぞ、ケンコー」 「あ、ああ、うん」 声を無くした揶揄の囲いにさっと背を向けた悟はズンズンと歩いていく。 勿論追ったけど、その先には何ない所で、どうする気なのかと思ったら、文化祭の道具とかゴミが放置されている校舎の裏側で「あ〜!!」と叫び声を上げて寝転がった。 コロンと首を回してこっちを見た顔は苦笑いをする……やっぱり仔犬だ。 「やっちゃった……なあ、あれはまずかった?」 「いいんじゃない?キスしろって言ってたんだしさ、殴られるよりはマシだろ、少なくとも痛くない」 寝転がる悟の横に座ってほらと腕を見せた。 そこには盛大な引っ掻き傷が出来ていて、大した事は無いがヒリヒリと痛んでいた。 「な、殴られたり、暴れたりするよりはマシだろ?」 「マジでごめん」 「俺もごめん、もう可愛いとか言わないから」 「今言ったじゃん」と笑いながら、ポンポンと床を叩いて寝ろと誘ってくる。 壊れた看板とかシートとか瓦礫の中から茶色い汁が漏れている場所だけどそれはいい。 乾いている事を確かめてから悟の隣で横になった。 塀と校舎に邪魔されているが仰いだ空は抜けるように青い。 「なあ、次のひとコマ……出るのやめない?」 「うん、眠すぎる、寝よう」 サボろうって提案は大歓迎だが、怒って暴れて名前も知らない先輩にチューをお見舞いしたすぐ後なのに、もう眠りの体勢に入ってる悟は物凄い大器なのかもしれない。 側から見た程酷い喧嘩では無いにしろ、こっちは取っ組み合いなんて初めだったからまだ胸がドキドキしているのに、悟は何とも無いみたいだ、ふうッと穏やかに瞼が落ちてくる。 「なあ……もう寝た?悟も昨日は何かあったの?まさか突貫のバイトでもしてんの?」 「………してない、ちょっと俺も色々あって寝かせて貰えなかっただけ」 「寝かせて貰えない?…って?どういう意味?」 「何でもない、寝ようぜ」 腕を枕にクルリと横になった悟の背中を見ていると、少し不安になる。 悟は自分の事を一切と言っていいくらい何も話さない。学校に来なければ会えないし、通学手段だって電車で通って来ているのか、バスかバイクか自転車かも知らない。今住んでる場所の大まかな方向すら知らないのだ。 それは意図的に隠しているような気がして聞けないでいるが、子供の頃の話や親が何をしているのかも教えてくれないのだ。 「それは…俺も同じなんだけどさ……」 思わず漏れ出た心の声に、もう眠っていると思っていた悟が「何が?」と聞いた。 「俺さ、小学生の時に物凄く仲良くなった友達がいたんだ、いつも一緒いた、そりゃ喧嘩もしたけどずっと仲良くやっていけると信じてた」 「そいつは?今はどうしてるの?」 「……うん、実は……」 家や家族が少し特殊と言えばわかってくれるだろうか。深く聞かれたらどうしたらいいのか分からないが、悟は妙に空気を読んでくる所があるから勇気を出す事にした。 何よりも、相手の事が知りたいのに自分の事を隠したままでは教えてくれないだろうという想いもある。 「あの子と遊ぶな……ってさ、友達の親に言われがちなの…俺。それでさ、ご多分に漏れず、俺と仲がいいって知られた途端そいつも「憲好くんとは遊ぶな」って言われたって笑ってた」 「そんな事を真に受けるような奴ならどうでも良くない?」 「違うよ、そんな奴じゃ無い、あいつは何も変わらなかったし、親に邪魔されても一緒にいた、そしたらさ、嘘みたいだけど引越ししたんだよ、小学生だぜ?校区を変えられたらもう会えないだろ」 憲好くんと離すために引越しという非常手段を取ったのだという噂を漏れ聞いた。 噂は噂だ、それは元からの予定だったのかもしれない、「憲好」とは関係ないそれなりの事情があったのかもしれない、しかし、学期途中で、しかもお別れを言うチャンスすら無い突然だったのだから信憑性はあるのだ。 「凄いね」 「凄いだろ?」 これは、これから先もあなたに付いて回る仕方の無い事なのだと、泣いている俺の髪を撫でながら母が言った。 それからは友達とは適度な距離を取った。 世間がより広く、よりよく見える頃になるとグラスメイトとは挨拶程度しかしなくなった。 相手も避け、こっちも避け、イジメすら発生しない。 「友達って……悟が10年ぶりくらい…なんだ」 「いいじゃん、俺よりマシだよ」 「何が?」 「俺はケンコーが初めての友達…かもしんない」 「そうなの?」 「うん、ケンコーん家はさ、お金持ちなんだろ?俺は真逆、底の抜けた貧乏でさ、転校ばっかりしてたし、学校にもあんまり行ってないし友達なんて1人も出来なかった」 「それさ、転校のせいじゃ無くて酷いギャップと極端な性格が悪かったんじゃないの?」 「そっちこそ、片道しか気遣いが出来なくて嫌われてただけじゃ無い?」 煩いと軽く殴ってやった。 そしたらお前こそって足を蹴られた。 もう一回やり返したけど、それはさっきの取っ組み合いより随分とソフトで、暫く戯れた後、本気の昼寝をした。 青い、青い空の下で。
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