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バイトとバイトと試験と飲み会
今更だけど、眠るって凄い事なんだと思う。
そして「友達がいる」って凄い事なんだ。
悟と取っ組み合いをしたおかげで、心の中疲れが身体の疲れに変換されてスッキリ爽やかに眠れた。ひとコマだけサボるつもりが、起きたら日が暮れていたけど、かなり良いインターバルを取れたと思う。
そして、友達は友達を呼ぶのかな?あの喧嘩の後からだと思うけど、悟がキスをお見舞いしたデカい上級生を含む数人から声を掛けられるようになった。最初は挨拶されたり返したりだけだったのに、少しずつ語彙が増えていき、立ち止まって話すようになって、座って話すようになってと進化していく。
そんな中で、欲しいとも貧乏とも言ってないのに後期の教科書を貰えるように手配してくれた。
必要な物は循環するんだって。
そいうものなんだって。
自分史上最大の勇気を出して家を出たけど、頑張って良かったと思う。閉じこもって鬱々したまま同じ生活をしていたら目の前は塞がったままだった。
高校までより友達を作るのが難しいと聞いていたけど、一人ではどうにもならない状況に陥ればなんだって出来るのだ。
こんな調子で、やる気に溢れてバイトに来たのに……こんな新しい出会いはいらなかった。
今、「ビールの置き方が悪い」と難癖を付けられていた。横柄な態度を取る4人席の客は手の甲にまで及ぶ立派なタトゥーを誇示している二人組だった。
確かに、黒いテーブルの腕に置いた汗をかいたグラスの横が少しばかり濡れている。
零したと言う程では無いが、置く時にバランスを崩したのも本当だった。
こんな時はアレだ。アレ。健さんにレクチャーされた通りにやってみた。
ふざけて見えないように、投げやりな口調にならないように、しかしあっけらかんと。
「申し訳ございません!」と出来うる限りの声を掛けて出して元気に謝った。すると「謝れば済むのか?」と凄まれた。怖い。
「不慣れで申し訳ございません、只今代わりのビールをお持ちしますので…」
健の直伝方法は通用しなかった為、今度は悟直伝の初心者を免罪符にする方法を取ろうとしたが、下げた頭にビールが掛かった。
本当にビックリしたけど、腹が立ったりはしなかった。こんな時はどうすればいいのか、浅い経験の中にはそんなマニュアルが無い。
変な言い掛かりを付けてくる客は意外と多いのだ。家族や学生の多いファミレスにすら何人かいた。しかし、そこには必ず悟がいた。
仔犬みたいなくせにいざとなると異様に肝の座ってる悟がいたのだ。
たった1人の今は、怒りも、オロオロも、怯えも駄目だと言われていたのに、毅然とするどころか駄目な方が全部一緒に出た。
「でも、俺は、すいません、でも」
黙れと思うのに動揺そのものが口から出る。
逃げ腰なのに踏ん張ってしまう後ろ足が邪魔だ。
どうしたらいいのかわからずに、ただひたすら「すいません」を繰り返していると「すいません」の声が2つになった。
続いて3つ。
一緒に頭を下げてくれているのは同僚のバイト達だった。1人は少し年上の裕之くん、もう1人は多分同じ年くらいの美優ちゃんだ。
最初は距離感がよくわからなくて挨拶したら挨拶を返し、誘われたら雑談に混じり、そんな事をしている間にちょっとだけ仲良くはなれたと思っている。
面倒ごとに巻き込んだのだから「ごめん」と謝ろうとすると、「いいから頭を下げろ」と足を踏まれた……裕之くんじゃ無くて美優ちゃんに。
美優ちゃんは少し悟に似た所がある。
見た目は可愛いが、正論が時々怖いのだ。
しかし、何か失敗をすると上手にフォローしてくれたりもする。
注目を浴びる中での3人から投げられる「ごめんなさい」の圧は凄いと思うのに、刺青男2人は全く怯まない。ビールを取り替え、テーブルを綺麗にしても意味の無いいちゃもんは続き、何がしたいんだと思ったら「目に見える詫び」を寄越せと言い出した。つまり現金を出せと言うのだ。
それは怖いと言うより新鮮な驚きだった。安物のドラマに出て来る端役チンピラのような真似をする人が本当にいるんだと感心したくらいだ。
ここは「あんたは馬鹿か」と笑い飛ばしてしまいたいが、何らかの対処をしなければならないのが現実だろう。
しかし、タカリとも言える行為には店のマニュアルがあるのだ。物品での賠償はしない。
何があってもだ。
しかし、他の客もいる中長引かす訳には行かない。この際だから土下座でもするかって思った時だ。この店に初めて来た時、健のおふざけを止めてくれたスーツの男がずいっと前に出て来た。
にっこりと笑って言ったのは「警察を呼びましょう」の一言だった。
ビールを頭に被ったのは店側にとっては有利な材料になったのだろう、警察を呼ばれては下手したら暴行罪になる。
チンピラは面白おかしく弱そうな店員を脅して遊んでいるうちに調子に乗ったらしいが、対応が素人過ぎたからやり過ぎただけなのだろう。
ドラマのような臭い捨て台詞を吐いて帰ろうとした。勿論だけど、チャージ料とビール2杯、消費税も込みで2464円を請求されていたのは言うまでも無い。
「よくやった」と褒めてくれたのは健さんだ。
濡れた服を着替えて来いと言われてバックヤードに入ったらもう中にいたのだ。
「健さん、いたんなら助けてくれればいいのに、見てたんですか?」
「うん、最初から全部見てた、どうするかな?って思ってさ」
俺直伝の「申し訳ございません!」は面白かったって?それは酷いだろう。
「怖かったんですよ」
「でもさ、いい経験になっただろう?あ、服は着て来たもんに着替えてね」
「え?でもまだ仕事があります」
「うん、今日はもういいってさ、頑張ったご褒美にいつも分の時給を出すからもう帰っていいって、風呂に連れて行ってやれって言われた」
「え?誰に?」
「ああ、さっきのにっこりスーツがここのオーナーなんだ、さっさとしろよ、行くぞ」
「え?!え?はい」
「はい」と返事したものの実は困っていた。
1人暮らしをしてみると今まで見てなかった出費が意外と大きいのだ。家賃と食費と来期の授業料を稼ぐだけでいいと思っていたら、いくら頑張っても1日1000円はかなりキツいし、トイレットペーパーだの(それぞれが自前なのだ)洗濯だの(有料洗濯機がある)洗剤だの細々と出ていく。
服なんか同じ物を着回せばいいと思っていた。
でも2着3着で着回すと驚くほどすぐにボロボロになってくるし、毎日バイトとかで走り回っていると、靴だって汚いとかボロいを通り越して底が薄くなってどんなに頑張っても使用不能な状態になった。靴下なんて嘘みたいに一瞬でレース仕様になったりするのだ。
取り分けお風呂は銭湯一回で450円もかかる。
今は暖かい季節だから台所で汲んできた水で(バケツも結構高かった)体を拭いたりしているがそれにも限度がある。
間が悪いと言うのか、昨晩なけなしのお金で銭湯に行ったばかりなのだ、続けざまにお金を払うのは勿体無いし、こんな街中にあるお風呂って銭湯ではなくスパとかサウナだろう。
「健さん、俺はいいです、帰ってからお風呂に行きます」
「いいからいいから」
「でも、あの」
お風呂よりも何よりも1番重要なまかないもまだ食べてないって言いたいのに、強引な腕に引かれて連れて行かれたのはやっぱり銭湯なんかじゃ無い。自動券売機の後ろに掲げられた料金表には2千円とか、3千円とか、並んでいる。
お風呂に何千円も使えないだ。
どうしよう、どうしようともじもじしている間に健はさっさと2人分の料金を支払い(岩盤浴とかリラックスルームとか全部込みの3980円)入って行ってしまう。
その結果。
サウナに入り、岩盤浴で暑い風を受けて大汗をかき、リラックスルームで漫画を読んじゃったりした。
おまけに豪華な刺身定食も奢ってもらった。(ビール付き)
それはね。嬉しいし、大変ありがいのだが、2時間半もお風呂で遊べば誰だってクタクタになると思う。
帰り道の自転車はいつも以上に過酷で苦しい。
ヒイヒイと喚きながら自分を鼓舞してアパートに帰って来た。
せっかくお風呂に入ったのに汗だくになっていたがそれはもういい、布団に倒れ込んで仰向けになった。
天井裏は静かなもので奇妙な隣人がいるのかいないのかはわからない。
考える暇もなく眠りについたからね。
授業が引けたらファミレスのバイトに入って、ファミレスが終わったらダイニングバーに移って働く。ファミレスに入れない時にはダイニングバーに入る。
そんな風に忙しい日々が過ぎて行った。
とても充実してしていたし、楽しくて楽しくて仕方がなかった。初めての黒字で終えた6月はやり切った充足感に満ち溢れていた。
……7月に入るまでは…。
困ったのは前期の試験だった。
勉強なんて何もしてない。
レポートなんて準備する暇もない。
しかし、単位を落とす訳には行かないのだ。
しかし、バイトも休めない。
この難局を乗り切るには寝る時間を割くしか方法が無かった。
多分と言うか絶対。
同じく勉強なんかしてない悟に「どうする?」って聞いたら明日真顔で「どうもしない」と言われた。バイトを減らすつもりは無いんだとわかると負けてはいられない気持ちになった。
しかし、さぞや辛いと思っていたらそうでも無かったのだ。病は気からって本当なのだと思う、充実した日々にやる気がみなぎり何とか乗り切った。何も優を目指さなくても可でいいのだ。
全部が終わった後、明日から夏休みだって日だった。以前から誘いを受けていた同期の飲み会には行ってみたくて、ダメ元で悟を誘ったのだ。
そしたら意外な事に行くとあっさり承諾してくれた。
「嫌だって言うかと思ってた」
「実は俺もケンコーを誘おうと思ってたんだ」
ほら、と前に女の子から貰ったチラシと同じものを出して見せた。
「そうか、良かった、3500円は高いけど学校って勉強をするだけじゃ勿体無いよな」
「まあね、こういうのも勉強じゃ無い?社会に出れば初対面と飲んだり話したりしなきゃ駄目だろうしさ、あ、そう言えば会場の店が変わったって聞いてさ、どこだと思ったらびっくりする事にケンコーのバイト先だったわ」
「え?!マジ?!ナーシーズ?」
「うん、ほらメール来てない?同窓会チャンネルに登録したろ?」
「いや、俺は行くって言ってないからそんなメールは来てない、見せて」
「はい」と差し出された悟のスマホには、会場変更のお知らせと共に会費が3000円に下がっていた。
「うわ…ラッキー、でもさ、あの店ってどっちかと言えばチェーンの居酒屋よりも割高だし飲み放題なんてメニューは無いんだけどな」
「そこは店だって臨機応変じゃない?大学生の集団は将来に繋がるツテでもあるし宴会って儲かるだろ?」
「知らない」
「ごめん、実は俺も知らない」
あっはっはと悟が笑った。
釣られて笑った。
笑って笑って、試験プラス、バイト三昧のハイトーンのまま宴会場であるバイト先に雪崩れ込んだ。
「……って、同期会じゃ無いの?あんた一回生じゃ無いよね?」
目の前の席に陣取り「そうだよ?」と笑ったのは以前悟との取っ組み合いを止めて来た背の高い上級生だった。名前は知らないがみんながタカさんと呼んでいるからどこかにタカの付く名前なのだろう。
年上相手なのに知らぬ間にタカさんと呼んでるなんて前なら考えられない。
しかし、同期会にタカさんが混じっているのは変だろう。
「何で混ざってるんですか?」
「いいだろ別に、ってかさ、同期会ってのは実はサークル名なんだ、同じ時を過ごした「同期」って事なの」
「いいですけど…」
何でもいいのは確かだ。
タカさんは次の春に卒業する予定で、もう就職先も決まっているのだという。
話してみればとても楽しくて、優しい人だった。
それはいいが、隣に座っている悟が妙に不機嫌で困っていた。
何が気に入らないのか、話には加わらず黄色い液体の入ったグラスをちびっと舐めてから唐揚げを齧っている。
店に来た時は上機嫌だったし、今日はまだ誰も「女の子みたい」とは言ってないのだ。何かあったのかを宴会が進み、席がばらけて来たタイミングで聞いてみた。
「どうしたんだよ」
「別に、ムカついてるだけ」
「あ……もしかして年齢チェックの事?」
年齢幅の広い大学で催す宴会には注意が必要なのだろう、店に入る前に2人とも20歳だからお酒は大丈夫ですと申告をしたら驚かれて笑われた。
しかし、その時の悟は怒ってたりはして無かった。
「違うよ、これだよ」
「これって……それは何を飲んでるの?」
最初の飲み物はグレープフルーツのサワーだったのだが、それぞれがそれぞれに注文を取るし、楽しく話してたから一杯目の後に悟が何を頼んでいたのか知らなかった。
「お酒?…に見えないけど…あ、スクリュードライバー?」
「違うよ、バヤリースだよ」
「バヤリース?オレンジジュースの?」
そんなメニューは無い、絶対ない。
この宴会の為に特別な対応をしていたとしても別種類のオレンジジュースを揃えているのにバヤリースを仕入れる必要など無いだろう。
「本当に?」
「飲んでみればわかるよ、ムカつくな」
「ムカつかれても……」
頼んだからそこにあるのであって、注文と違う飲み物が来たなら取り替えて貰えば済む事だ、何故ムカつくのかはわからないが悟はプリプリと音がしそうなくらい可愛く怒っていた。
「おっさん!」
「え?!おっさんって俺?」
両隣に女の子を揃えてご満悦だったタカさんはおっさん呼ばわりされてもおおらかなものだった。
「お呼び?」と笑いながら答えた。
悟は人をハラハラさせるのが得意らしい。
「ビールを頼んで」
「自分で頼めば良くない?いいけどさ」
ちょっと困ったような顔をしたけど、魅力のある人と言うのは折れたり我儘を聞くのが上手なのだ。すぐに店員を捕まえ(美優ちゃん)ビールを2つ注文したタカさんは「どうしたの?こいつ」と口パクで聞いて来た。
聞かれてもわかんないよ。
仕方がないから「ごめん」と、ジェスチャーで返しておいた。
それからはあっという間に酔っ払った悟と飲むわ食うわと大騒ぎをした。
何を言っても笑い続ける悟が面白いんだろう」可愛いし)何だか知らないうちに囲いが出来ていた。
ほろ酔い紛れだから、知らない人ともたくさん話したし、顔と名前を知っていただけの同級生とも仲良くなれたと思う。
最初の年齢チェックは何かあった時に言い訳が立つようリスク回避の為だったのと知る頃、(つまり未成年も普通に飲んでいた)潰れていく面々も多い中、最後まで残ってしまった。
悟がどうなったかって?
もうとっくに寝てる。
相方はああなのにと笑われたが、実はお酒には強い方だった。
強い、と言っても外で飲んだのなんて初めだったからどのくらいが平均なのかわからないままだったが、頭もハッキリしているし、足取りが乱れたりもしていない。
それはいいのだが。
何だろうか。
これは酔っているからなのか、何だか胸がムカムカして来ていた。
酔い潰れたメンバーを送って行ったり、自ら帰ったりかなり人数が減って来ていたが、どこに住んでるかもわからない悟が嘘みたいに熟睡しているから帰りたくても帰れない。
今やしっとりとした飲み会に変わっているせいで、具合が悪い事を隠せていなかったらしい。
目敏いタカさんに大丈夫かと聞かれてしまった。
楽しい飲み会に水を刺したくない。
空気を悪くしたくない。
調子に乗って飲み過ぎたのだろうが、それを言うのも恥ずかしかった。
「大丈夫です」
「うん、大丈夫じゃないな」
「いや、俺は帰ります、悪いけど誰か悟をお願い出来ませんか?」
「それは勿論だけどな、飲み慣れてない下級生の面倒を見るのは俺達の仕事なの、うちのサークルの伝統なの、もしかして迷惑かけてるとか思ってない?」
面倒を見ると言ったってここにいるのは誰もがまだ学生なのだ。遊んでいる途中に自己管理の出来ないお馬鹿さんの相手などしたくないだろう。
もう一度「大丈夫」と言おうとした時だった。
猛烈な吐き気に襲われてトイレに走った。
ドアを閉める間もなく便器にかぶりつくと、吐くと言うより吹き出したと言ってよかった。
しかも一度では治らない。2度3度と同じ事を繰り返し、少しはマシになったような気もするが、熱を持った体が重くて動けなくなった。
吐く合間に何とか閉めたドアの向こうからは大丈夫か?とか、ドアを開けろとせっつかれるが腕を上げることもできない。
そうこうするうちにまた襲ってくる吐き気はやっぱり猛烈で。
吐いて、吐いて。そのうちに訳がわからなくなってしまった。
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