君にさよならと告げた日

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「ずっと、待っているから……」  ボソリと告げられた言葉に吉川は下げていた視線を上げる。  夕方の駅のホームは帰宅途中の学生たちやサラリーマンが溢れ、ひときわ騒がしい時間帯でもある。だがそんな喧騒の中でも榊の声は確かに吉川の耳に届いた。 「待ってなくていいよ」  吉川は再び視線を下し、手元のスマートフォンを操作した。 「どうして?」  榊は不安げな声で問う。 「だって……」  続く言葉をぐっと飲みこみ、吉川はまた視線を逸らした。榊もそれにならう。  電光掲示板を見上げると吉川が乗る電車はあと五分ほどで到着する。榊は路線が違うので、吉川よりも遅い電車で帰宅するのだ。  今の吉川にとってこの五分という待ち時間がとても長く、苦痛に感じるものだった。 「吉川」  隣に立つ榊がいつも以上に小声で話す。  榊は学生時代から高めのハスキーボイスで、なおかつボソボソと話すのだ。混雑した駅のホームとの相性は最悪である。  吉川は榊の声を聞き取るために、彼の隣に身を寄せた。 「何?」 「あのさ……俺、内辞が出て……来年は県外の支社に行くことになったんだ」 「へえ、そうなんだ。おめでとう。次も事務職?」 「いや、今度は営業」 「まじで? できるの?」 「任されたものはやるしかないじゃないか」  世界で一番営業が似合わない榊の未来を想像すると、吉川は思わず吹き出しそうになった。とはいえ、異動ということならば、榊にはひとつ問題があった。 「その髪、どうするの?」 「あ、ああ……うん。そうだね。髪、切らなきゃ……」  はっきり言って、現在吉川と榊が務める経理部は仕事さえできれば服装や髪型の自由が許される、社内でとびきりゆるい部署だった。
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