0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
そのことを、吉川は榊に伝えられずにいた。心のどこかで、榊もまた、セクシャルマイノリティーではないかと思っていたからだ。言葉にせずとも、うまくやっていける。甘すぎる考えだった。
「なあ、吉川……俺たちは、ゆっくりいこう。焦らないで」
「……はは、そうだね」
「じゃあ、いいの?」
「うーん」
榊を待たせすぎていたらしい。吉川はわざと濁して、改めて電光掲示板に目をやった。
と同時に電車の到着を告げるアナウンスがホームに流れる。予定より三分遅れだ。
「あ、来た」
「これ?」
「うん」
電車が吉川たちの前で停まる。車内に流れ込む乗客たちの波に乗って吉川もそっと足を進めた。
「待ってるから」
乗り込む直前、榊は吉川にしか聞こえない声でそう言った。
「ずっと、待ってるから……」
吉川が肩越しに振り返る前に無情にも扉は閉まる。
がくんと車内が揺れ、危うく転倒しかけたが、何とかバランスを保つことができた。
空いている席に座り、一息つくと、すでに駅は遠ざかっていた。
――ずっと、待ってるから……。
別れ際の榊の言葉が耳から離れない。
どうしてそんなに苦しそうな声で言うんだ。
どうしてそんなに切ない響きを含めるんだ。
吉川は両手で口元を覆い、欠伸を噛み殺すフリをして、小さくその声を絞り出した。
「……さよなら」
了
最初のコメントを投稿しよう!