待つ女

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ホームのベンチに座っていても、屋根に当たった強い雨の霧のような雨粒が、風も無いのに漂って来て、タクミのスーツを、しっとりと濡らす。 「それにしても、ひどい降りだな。」 突然の夕立に、ホームで、降りが治まるまで待ってみようと思ったのだが、一向に止む気配がしない。 こんな時は、帰りを急ぐことを諦める方が、精神的にも良いはずだ。 マリコに寄り道をすると、メールを送ったら、「だから、傘を持って行ってって言ったでしょ。」と返信があった。 タクミは、雨も降っていないのに、天気予報を信じて傘を持って出るのが嫌いだった。 持って出かけた時に限って、雨が降らなかったり、何故か、どこかで忘れて帰ってしまうからだ。 大阪駅の改札口を出て、寄り道の店を探そうと歩き出す。 それにしても、最近の駅というのは、どうしてこうも、巨大化しているのだろうか。 いや、巨大化するのは、まだ許せる。 それよりも、複合施設化しているのが許せないのだ。 どの駅も、大きなビルになっていて、改札を出ると、そこはデパートの地下食品売り場かと思うような有名なお菓子お店が並んでいたり、有名な飲食店が入っていたり。 まったく、旅情というものを感じさせない造りは、きっと旅を理解しない人間が作ったせいだろう。 もし、僕が旅をするなら、大阪駅だけは、目的地にしたくないな。 そんなことをタクミは考えながら、どうにか駅という複合施設を出ようと歩き出したのである。 すると、駅前の古びたビルの角に、1軒の店を見つける。 入口を見ると、居酒屋のようでもある。 何より、気になったのが、入口に掛けられた暖簾の店名だ。 「みゆき」。 タクミは、歌手の中島みゆきさんが好きだった。 中島みゆきさんの声を、ぼんやりと聞くのが好きだった。 そこに何かの縁を感じて、暖簾をくぐったのである。 店は、10人ぐらいが座れるカウンターがあるだけだ。 先客が、4人飲んでいた。 「いらっしゃい。初めてですか?」 Gパンに、真っ白なTシャツの女の子が言った。 「ええ、急な夕立だからね、ちょっと、寄り道してみようかと。あなたが、このお店のママなの?」 「本当は、あたしのママが、ママなのよ。あはは、ママがママって、ダジャレじゃないの。ちょっと、最近は、体調も悪くて、替わりに娘のあたしが、店に立っているんです。」 30歳ぐらいだろうか、サバサバとした話し方は、こういう居酒屋には合っているのだろう、今、入ったばかりなのに、なぜか落ち着いてしまった。 「このお店は、メニューはないんですよ。小さい店でしょ。あたしが適当に作ったものを、あたしのペースで出しているんです。それでいいですか。」 「へえ、変わってるね。うん、でも、それでいいよ。」 「でも、まずは、ビールよね。」と、瓶ビールの小瓶を、タクミの前に置いた。 壁に掛けられたテレビに、夕方のニュース番組が流れている。 「あー、気持ち良かった。やっぱり、シャワーは、毎日しなきゃですよね。」 と言いながら、濡れた髪をタオルで乾かしながら、タクミの左隣の席に若い女が座った。 「それはそうよ。だって、百合子ちゃんは、女の子でしょ。身だしなみを、ちゃんとしないと、彼氏は現れないわよ。」 ということは、隣に座った百合子っていう女の子は、このお店で、今まで、シャワーを浴びていたということなのだろうか。 タクミが、不思議に思っていると、隣の女の子が、タクミに話しかける。 「お兄さんは、何を待つために、このお店に来たんですか?」 また、奇妙なことを聞くものだ。 「何を待つためにって?いや、夕立が止むのを待とうと思ってるんだけど。」 シャワーを浴びたばかりのスッピンの若い女の子を、こんな近くで見ると、ちょっとドキリとする。 ルージュを引いていないスッピンの唇の皮膚の柔らかさが、妙に色っぽい。 「ふーん。夕立か。簡単な待ちやね。」 簡単な待ちって何なんだ。 「百合子ちゃん、別に、みんなが待つために、このお店に入って来る訳じゃないのよ。」 ママの言った「待つために」お店に入って来るっていう事も気になるが、今気が付くと、ママも、なかなかの可愛さだ。 片えくぼが、30才には見えない若さを感じさせている。 「どういうことなんですか。待つために、このお店に来ているって。」 「ここに来ている人はね、みんな何かを待つために、このお店に来ているのよ。」 ママに聞いたつもりが、隣の百合子が答えた。 「また百合子ちゃんったら、変な言い方して。こんなこと言ったら、びっくりするかもしれないんですけど、このお店に来ている人は、みんな何かを待っているんですよ。このお店で、じっと、それぞれの待っているものが、訪れることを待っているんです。」 ママが、説明し辛さそうに答えた。 「何かを待つために、店に来ている。」 「あ、正確に言うと、待つために来ているんじゃなくて、ずっと店で待っているんです。」 また、百合子が答えた。 「じゃ、君は、百合子さんって言ったかな、何を待ってるの、ここで。」 「いやだ。恥ずかしいじゃない。」意外な反応に、驚いたが、ママが、説明する。 「百合子ちゃんはね、運命の男の人を待っているのよ。」 「きゃー、だから、恥ずかしいよ。」 運命の男の人を待っている。 「いや、しかし、ここで待っていれば、その運命の人は、現れるのかな。」 「解らない。でも、待たなきゃ、出会えないでしょ。」 「いやいや、お店にいるよりも、外に出て行った方が、きっと、運命の人に出会えるよ。ほら、趣味の集まりに参加するとかさ、そうだ、最近は、出会いサイトなんてあるそうじゃないか。そっちに行った方が、きっと早く見つかるさ。」 「今、外に出て行ったら、今まで、ここで待った6ヶ月の意味がなくなるじゃん。」 「君、百合子さん、ここに6ヶ月もいる訳なの?」 「そうよ。長いような、短いような。」 「だから、いやいや、おかしいでしょ。6ヶ月も、ここで寝泊まりしているの?」 「うん。だって、ここにいたら、みんないるし、ご飯も作ってくれるし。裏で、ちょっと仮眠したりも出来るのよ。」 タクミは、百合子の話す待つということに興味を惹かれていった。 「あの、ママさん。百合子さん、6ヶ月も、ここで待っているって本当なの?」 「ええ、本当よ。でも、ここでは、新人さんの方なのよ。他の人は、もっと待ってるわ。」 カウンターにいる他の人が、一斉にタクミを見た。 そして、ちょっと会釈をする。 「ほら、あたしの隣にいるレイジさんなんて、2年待ってるよ。」 百合子が説明してくれたレイジさんという40才ぐらいの男性が、タクミに向かって、「どうも。」と頭を下げた。 「ということは、2年も、ここで飲んでいるんですか。」 タクミは、堪らずにレイジという男に聞いた。 「ええ、飲んでいるというか、待っているんです。この居酒屋では、ただ座っているだけなんです。だって、ずっと飲んでたら、酔っぱらうでしょ。アテも、食べ続けられないし。だから、ママが、朝昼晩に合わせて、料理を作ってくれるんですよ。まあ言えば、普通の生活のリズムと同じなんですね。だから、ずっと待っていられるんですよ。」 「いや、その料理の説明は、いいんです。あ、いや、それも気になるけど、その前に、ずっと座ってるんですか。」 「ええ、そうですよ。」 「あ、そうだ。お客さんは、今、入ってきたばかりだから、お腹空いてますよね。何か作りますね。といっても、お昼に作ったカレーの残りでいいかな。軽めに盛っておきますね。」 「ええ、ありがとう。というか、ママも、その料理は、朝昼晩に合わせて作るって、ここは、普通の居酒屋じゃないんですよね。」 「そう言われればね。うちも、始めは、ちゃんとメニューもあって、お客さんの注文を受けてたんですよ。でも、レイジさんの言うように、ずっと、飲んで食べてられないでしょ。それに、あたしも、面倒くさいし。だから、普通に、朝昼晩を作って食べて貰ってるの。まあ、お酒は、好きな時に飲んでもいいし。だって、待つことが目的の人ばかりだからね。だから、それでお店もやっていけてるのかも。本当に、ありがたいわ。」 「へえ、そうなんだ。っていうか、料理の話も、すごく気になるけど、いや、その何、待つのが目的って、そこがまだ、理解できていないというか、、、。」 「あはは、そうよね。変わってるもんね、うちの店。」 「あのう、失礼ですが、レイジさんて言いましたか、あなたは、何を待っているんですか。」 タクミは、そこが知りたかった。 レイジは、ちょっと、考えるように、グラスを指先で、ピンと弾いて、「ふう。」とため息をついて、それから答えた。 「何か、いいことがないかなと。詰まり、、、何か、いいことが起こることを待っているんです。」 「何か、いいことって、それは、何なんですか。」 「さあ、それが解らないんですが、兎に角、何か、いいことを待っているんです。」 それを聞いて、百合子ちゃんが言った。 「きゃー、純粋。やっぱりレイジさんは、違うわ。ただ、待っているんですね。それも、これっていうことじゃなくて、何か知らないいい事を待っている。カッコイイ!」 「そうよね。レイジさんは、ある意味、純粋なのかもよね。」とママが、続けた。 「いや、何か知らないいい事って、、、。じゃ、何か知らないいい事が、やって来ても、それが、何か知らないいいことだって、解るんですか。」 「それは、解ると思うんですよね。何しろ、何か知らないいいことが来たら、やっぱり、飛び上がるほど、嬉しいと思うんですよね。だから、僕が、飛び上がるほど嬉しいと感じたら、それが、僕が待っている何かいいことだと思うんですよね。」 「そういわれれば、そうかもですね。」タクミは、初対面のレイジの言葉を否定することを避けた。 でも、その何かいいことを知りたかった。 「じゃ、具体的に、その何かいいことっていうのは、どんな事なんだろう。」 「そうですね。例えば、若くて可愛い女の子が、何人も集まってきて、チヤホヤされたり、偶然に、大金が舞い込んできたり、、、。いや、やっぱり違うか。」 タクミは、何かいいことの具体的な例に、拍子抜けした。 「あ、今、なあんだと思ったでしょ。」と百合子ちゃんが、タクミに言った。 「いや、そんなことないですよ。でも、、、ここで待ってたら、そんなことが、向こうからやってくるのかなと思って。」 「あのねえ、お兄さんは、普段、何か、いいことないかなと思ったことない?みんな、誰でもが、何かいいことないかなと思って暮らしてると思うのよね。きっと、みんな思ってる。でも、日々の生活を失いたくないから、何か、いいことないかなって思いながら、それを忘れたふりして暮してるんだと思うのよね。でも、レイジさんは、そんな日常を離れて、ここで、何か、いいことを待っているのよ。純粋だと思わない?」 それを聞いたレイジが言った。 「僕なんて、まだまだですよ。ほら、カウンターの端で飲んでいる人いるでしょ。マナブさんて言うんですけど、純粋って言ったら、やっぱり、あの人の方が純粋ですよ。」 カウンターの端を見ると、60才位の男性が、テレビを見るでもなしに、ただ座っている。 「あの人はねえ、もう30年も、ここで待ってるのよ。」百合子が、タクミの耳元で囁くように言った。 百合子の吐いた息が、タクミの耳にかかる。 「30年、、、。」 「すごいよね。マナブさんは、あたしのママの時から、あそこに座って待ってるんです。」 「何を待っているんですか。」 ママは、微苦笑しながら、「あたしにも、何を待っているのか、解らないんですよ。」と言ったら、レイジが、説明をした。 「あの方は、始めは、何かを待つために、この店にやって来たらしいのですけど、何しろ、何年も待ち過ぎて、気が付いたら、何を待っているのかを忘れてしまったらしいんですよ。だから、今は、ただ、待っているだけなんです。何を待っているのかを、思いだすのを待っているのか。いや、そんな素振りはないから、もう、思いだそうとするのを諦めたのかもしれません。なので、ただ、待っているんです。その待っているものは、たぶん、マナブさんにも解らないんでしょうね。僕は、あそこまで、また達観できないなあ。とにかく、すごい人ですよ。」 そんな話を、マナブさんという男性は、聞こえているのか、どうなのか。 でも、ただ、ぼんやりとテレビを見ている。 それにしても、不思議なお店に、不思議な人たちだ。 こんな不思議な空間が、大阪駅のすぐ前のビルの居酒屋にあったというのも、不思議なのである。 「あたし、待っていてもいいんですよね。」 タクミから1席空いた右隣に座っている女性が、かぼそい声で言った。 「あ、彼女はね、リカちゃんって言うの。可愛いでしょ。まだ、ここに来てから2週間の新人さんなのよ。」 ここに来る女性は、みんな可愛い女の子ばかりなのだろうか。 自信のない話方には似合わない、白のニットのワンピースという挑発的な服に、ロングヘアーをゴムでまとめて、左の肩から前に垂らしている。 「ママ、あたし、ここで待っていてもいいんですよね。」 再度、かぼそい声で言った。 「ええ、勿論よ。いつまでも、待っていてもいいわよ。リカちゃんが待ちたいのならね。」 「リカちゃんは、何を待っているの?」 「あたし、、、愛を待っているんです。あたし、今まで、男の人に愛されたことがないんです。っていうか、愛してるって言ってもらったことがないんです。だから、ここに来たんです。愛してくれる男性が、現れるのを待っているんです。」 「リカちゃんは、あたしより重症よね。だって、あたしは運命の男の人を待っているだけでしょ。でも、リカちゃんは、愛してくれる人を待っているんだもん。愛って、自分の事より、相手のことを、大切にするって感情でしょ。って言うか、愛なんて、本当に存在するのかな。」 「でも、あたしの、友達とか、みんな誰かに愛されてるって。みんなでお茶してる時も、彼氏の話とかして、楽しそうだもん。きっと、みんな誰かに愛されているのよ。あたしも、誰かに愛してもらいたいんです。」 「ああ、巷で、若い男女が、愛してるとか何とか、そんな事をいって、チュッチュ、チュッユしてるやつでしょ。あんなの愛じゃないわ。あんなの、ただの気まぐれの遊びでしかないのよ。それを愛だって錯覚してるだけ。」 「ママ、一体、何があったの?」 「あ、ごめんなさい。あたしも、ずっと、この店にいるでしょ。だから、出会いも無くて。ああ、あたしも誰かに愛されたいよ。ほんと。だから、リカちゃんの気持ち解るわ。」 「ああ、そういうことね。ママが、急に、熱弁を振るうからさ、過去に何かあったのかなって。でも、リカちゃんさ、君も、愛が欲しいなら、ここで待っているより、街に出た方が、きっと、出会いも増えて、ひょっとしたら、その出会いの中から、君を愛してくれる人が現れるかもよ。」 「そうでしょうか。でも、自信ないし。怖いんです。」 「いや、これは断言できるよ。街に出た方が、君を愛してくれる人に出会えるチャンスは増えるよ。」 「それが本当なら、あたし、待つのをやめる方が、いいのかな。ああ、でも解らない。」 「っていうかさ。誰かに愛されるってこと、それって奇蹟だよ。あんまり期待しない方がいいよ。きっと、街に出ても挫折するよ。」百合子が否定的なことを言う。 「そうよ。あたしなんてね、自分自身も愛せないもの。そんなの、人を愛せるなんてこと、あり得ないわ。まして、人から愛されるなんて、幻想よ、幻想。そんなの、幻の、幻の、幻の、、。兎に角、愛されるなんて、特別な人にしか許されてない奇蹟なのよ。」 「だから、ママ、大丈夫?さっきから、話が愛になると、荒れてるみたいだけど。」 「あ、ホントだ。」と言って、ペロリと舌を出した。 そういえば、外の雨も止んだようだ。 待つ必要のない僕は、店を出るとしようか。 たぶんだけれど、家では、マリコが僕の帰りを待ってくれているはずだ。 「ママ、雨も止んだみたいだし、お会計をお願いします。」 「ありがとう。でも、代金はいらないの。」 「どういうことですか。」 「あのね、世の中には、待っているだけで、お金持ちになった人もいるのよ。待つことしか出来ないでいる人が、待っているだけでお金持ちになることもあるのね。だから、そう言う人が、同じ境遇にいる待っていることしか出来ないでいる人に、飲食代を寄付してくれているの。誰でも、待つことができるようにね。」 「そんな世界があるんですね。」 タクミが席を立ったら、リカちゃんが、タクミに言った。 「あのう。あたしも、お店を出ようかな。お兄さんの言うように、街に出た方が、あたしを愛してくれる人に巡り合えるチャンスがあるかもしれないものね。」 「そうだよ。その方がいいよ。」 「それもいいかもね。でも、待ちたくなったら、いつでも待ちに来ていいからね。じゃ、頑張って、愛を探しに行ってね。」ママも背中を押してくれた。 「そうだ、百合子ちゃんも、一緒に、外に出ないか。」 「あたしは、いい、やめとく。だって、あたしの待っているのは、運命の人なのよ。運命だったら、街に出ても、ここにいても、いつか出会える理屈でしょ。だって、運命なんだから。」 「あはは、そうかもね。」 「お兄さん、待つ必要がなくても、いつでも、この店に遊びにきてくださいね。」 「ああ、ありがとう。」 店を出ると、雨も上がって、ひんやりとした空気が、タクミの身体全体を抜けていくような感覚を覚えた。 タクミと、リカは、大阪駅まで戻って、そこで別れる。 家に帰ると、マリコが夕食を作って待っていてくれた。 「結構、遅かったね。おかず冷めちゃったから、チンするね。」 僕には、僕を待っていてくれているマリコがいる。 そのマリコに、僕はマリコを愛しているよと伝えたい気持ちが沸き起こったが、冷えたビールを流し込みながら、「ありがとう。」とだけ言った。 でも、僕はマリコから、愛されているのだろうか。 いや、そんなこと、どうだっていい。 僕がマリコを愛しているという、その事実があれば、それだけでいい。 そんなことがあった1週間後。 タクミは、大阪駅で、リカちゃんを見かけた。 リカちゃんは、キョロキョロあたりを探るような仕草で、ただ歩いている。 「リカちゃん。どうしたの。あれから、愛を探してる?」 「あ、お兄さん。ええ、あれから毎日、大阪駅とか、色んな所を歩いているんです。誰か、あたしを愛してくれる人に出会えるかもしれないから。」 「それで、愛してくれる人、見つかりそう?」 「ううん。そんな兆候、まったくないんですよね。もう、あたし歩き疲れちゃって。どうして、あたしを愛してくれる人に出会えないんだろう。」 「そんな焦る必要なんてないよ。たとえばさ、趣味の教室に通ってみるとか、、、、。」 と言いかけたら、リカは、それを遮った。 「あ、ごめんなさい。あたし、歩かなくちゃいけないんです。歩かないと、あたしを愛してくれる人に出会えない気がするんです。なので、これで失礼します。」 そう言ったかと思うと、足早に人ごみの中に消えていった。 リカちゃんは、待つ人から、歩く人に変わっていた。 いくら歩く人に変わったって、自分から声を掛けなければ、結局は、待つ女であることには変わりなかった。 ただ、待つしか方法を知らないリカちゃんの背中が、憐れに見えた。 タクミは、急に、今すぐにでもマリコに、愛していると伝えたくなった。 マリコの携帯に電話を入れる。 「ああ、マリコか。マリコ、僕は、マリコを愛してる。それを伝えたかったんだ。」 するとマリコが言った。 「それで?」 「いや、それでって、ただ、愛してることを言いたかったんだ。」 「、、、バカヤロ。」 ただ、そのバカヤロの向こうにマリコの笑顔が見えた気がした。
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