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入浴を終えて慈乃が自室に戻るとカモミールの精に出迎えられた。正面の棚の上に飾られたカモミールの花が風もないのにそよりと揺れている。
「おかえりなさ~い」「なの~」
慈乃が小さく微笑んで「ただいま戻りました」と告げれば、カモミールの精達はさざめくように笑ったようだった。
「今日は聖花祭なの~」「僕たちがありがとうを伝える日?」「そうなの~」
「シノ、いつも僕達のことを想ってくれてありがとうなの~」「私達の花守がシノで良かった」「ね~」
淡く輝きだすカモミールの花を慈乃は愛おしげに見つめた。
「それは私もですよ。カモミールの精達の優しさに私は確かに救われたのですから」
「えへへ~」「シノとおんなじ」「嬉しいね~」
慈乃もまたカモミールの精と同じ温度の微笑みをこぼした。
まだ一年と経っていないが、こちらの世界に誘われてからの毎日はあっという間に過ぎていったようにも、振り返ってみれば遠い昔のようにも思える不思議な感覚を慈乃にもたらした。その中で慈乃はカモミールの精にも救われたと思っている。現在の自分が在るのはカモミールの精がいたからこそだ。
慈乃が改めてありがとうを伝えると、カモミールの精はさらに嬉しそうな笑い声をもらした。
「シノ、優しいね~」「でもでも今日は聖花祭だから」「シノ以上に私達はこの想いを貴方に伝えたいの~」「だから明日の朝を楽しみにしててね~」
夕食時のクルルも似たようなことを言っていたが、一体明日の朝に何が起こるというのだろう。
慈乃は期待に胸を躍らせながら、枕元に手編みの靴下を置き、寝支度を整え布団に潜った。そうしてカモミールの精達が語る在りし日の父母の姿を閉じたまぶたの裏に思い浮かべながら、慈乃はいつしか眠りに落ちた。
翌朝、目覚めた慈乃は視界の端にきらりとした光を捉えた。枕元を見ると靴下の隙間から三センチメートルほどのガラスの結晶のようなものが一粒、その姿を覗かせている。
就寝前にはなかったはずだと思い、慈乃はゆっくりと結晶に手を伸ばした。指先が結晶に触れると同時にぱっと白い光が弾ける。次いで優しい感情が心を満たすのを感じた。
カモミールの精達の感謝の想いが慈乃の胸をいっぱいにしていく。ありがとうという言葉が聞こえた気もするし、言葉には表せないようなひたすらに優しい気持ちが流れ込んできた気もする。
(これは、一体……?)
呆気にとられる慈乃の思いに応えるように、カモミールの精の気配が強くなった。そして寄せては返す波のように、カモミールの精の声が聞こえる。
「それ、僕達の力を集めてできたものなの~」「お守りみたいなものだよ~」
「お守り……?」
「そうそう~」「困った時は助けてくれるよ~」「きっとシノに幸せをくれるものだよ」
「そう、なんですね。ありがとうございます」
慈乃が驚きながらもお礼を言うと、カモミールの精達は笑い声を残して気配を消した。
慈乃はもう一度手の中の結晶に目を落とす。透明なそれは美しく見ているだけでも目を楽しませてくれるが、慈乃にとってなにより印象的だったのは結晶を置く手のひらがじんわりと熱を持ち、心までもをぽかぽかと温かくしているということだった。
(これがきっと、聖花祭の贈り物なのね)
窓の外は次第に白み始め、カーテンの隙間から一条の光が差す。慈乃は結晶をその光にかざした。
結晶はきらりと光を反射し、幸せそうな微笑を浮かべる少女の姿を映し出した。
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