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白い部屋の白いベッドで。青白い顔で眠り続けるお母さんの横顔をじっと見つめる。
窓の外から聞こえる蝉の鳴き声が、静かな部屋に響いて不快だった。
「静香!」
雑なノックの後、病室に飛び込んできたお兄ちゃんの息は上がっていて。額やこめかみから流れる汗をシャツで拭う。さっきの慌ただしさが嘘のように、静かに私達の傍に立った。
「……大丈夫か?」
その言葉はお母さんに向けられるべきものなのに。何故かお兄ちゃんは私の方を見ていた。
「静香、大丈夫か?」
黙ったままでいる私にもう一度、同じことを聞いてくる。
心配そうに寄せられた眉と歪められた唇。不安そうに揺れる瞳。
お兄ちゃんから視線を逸らして、眠ったままのお母さんの顔を覗き込む。目の下には黒々としたクマがあって、顔色は青白い。
ざわりと、お父さんがいなくなってから凪いでいた心が揺れたのを感じた。
少しづつ、だけど確実に大きなうねりとなって。沈黙していた心を荒らしていく。
お母さんが毎日泣いていたのは。心労が祟って倒れたのは誰のせいだ。
お兄ちゃんが悲しそうな顔をするのは。無理をして笑う様になったのは誰のせいだ。
ぐらぐらと胃のあたりが煮詰まっていくような感じがして、気分が悪い。
『私、大きくなったらお父さんみたいなかっこいい警察官になる!!』
小さい頃からの夢だった。お父さんは私にとって正義のヒーローで、凄くかっこよくて。いつもきらきらしていた。
尊敬していた。憧れていた。大好きだった。私もお父さんみたいに、困っている人を助けたかった。それが正しいものだと信じて疑わなかった。
だけど、違う。あんなものは正義なんかじゃない。偽善だ。自己満足だ。
見知らぬ子供を助けて、だから何だと言うのか。
近所の人達はお父さんは凄いことをしたんだと、私のために言ってくれていたけれど。
本当にそうだったのなら、どうして私達は今病院にいるのか。
お母さんを泣かせて。お兄ちゃんに辛い顔をさせて。何が正義のヒーローだ。
私達を不幸にしたのはお父さんじゃないか。
「……お兄ちゃん」
私がやっと口を開いたからか、お兄ちゃんがほっとしたのが空気で伝わってきた。
「……ごめん。何でもない」
喉が引き攣って。結局、何も口に出来なかった。
だって、これ以上お兄ちゃんを傷付けたくない。困らせたいわけじゃない。
私はお父さんみたいに、家族を泣かせたり、苦しませたりしたくない。
だからこの胸の中を渦巻く激情は、全部、全部、飲み込んでしまおう。
どれだけ周りの人達がお父さんを肯定しようとも。
私だけは否定し続けようと。許さないでいようと。そんな幼稚な誓いを胸に、この怒りをずっと覚えておこうと決めた。
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