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目を開けて最初に見えたのは、白い天井と白い壁。ここ数年で見慣れてしまった、病室だった。
……なんでこんな所にいるんだっけ。
鈍い頭を働かせても記憶は曖昧で。
「静香ちゃん!!」
半ば叫ぶように名前を呼ばれて、声の主の方へ顔を向ける。
「明子さん……?」
向かいの家に住むおばあさんがいた。驚いて身動ぎした拍子に見えた点滴に、合点が行く。
私は熱中症で倒れたのか。
「良かった気が付いて……!」
目尻に涙を溜めて安堵の息を零す明子さん曰く。
お孫さんが私の帰宅した所を目撃していたらしい。酷い顔をしていた私を心配してくれたお孫さんだけど、私との関係はすれ違えば挨拶をするレベル。流石に様子がおかしいからと家を訪ねるのは厳しかった様だ。
そこで私と面識がある自分の祖母に私の事を話して、わざわざ家に来てくれたらしい。
家に居るはずなのに何度チャイムを鳴らしても出てこない私を不審に思い、玄関を少し覗いてみたそうだ。そしたら私が廊下で倒れているのが見えて、慌てて救急車を呼んでくれたと。
「明子さん、ありがとうございました」
ベットの上で深く頭を下げる。その肩に置かれた手は温かくて、胸の奥が温かくなった。
「頭なんて下げなくてもいいのよ。私こそ、勝手にお家を覗いてしまってごめんなさいね」
本当に申し訳なさそうに、眉を下げる明子さんに首を横に振る。
「明子さんに見つけて貰えなかったら危なかったと思います。それに私を心配してわざわざ様子を見に来て下さったんでしょう?……すごく嬉しかったんです。本当にありがとうございました」
「そう言ってもらえると私も嬉しいわ」
おおらかに微笑む明子さんは本当のお祖母ちゃんみたいで。手を伸ばして縋ってしまいそうになる。
「……静香ちゃん。宗太君が来るまで私が居てもいいかしら?」
「…………これ以上はご迷惑になってしまいますから」
傍に居て欲しい。
本音を飲み込んで、言葉を選ぶ。これ以上迷惑はかけたくない。これ以上誰かのお荷物にはなりたくない。
時計の針が進む音と。少し遠くに聞こえる悲しげな蝉の声。
「…………迷惑だなんて思っていないわ。私は勝手に静香ちゃん達を本当の孫みたいに思っているの。宗太君やお母さんのために一生懸命、お家の事も勉強も頑張っている静香ちゃんが大好きなのよ。それにね、困っている時はお互い様。私が困っている時に、静香ちゃんも助けてくれたでしょう?」
冷房のせいか。冷たくなっていた私の手を明子さんは大事そうに包んでくれた。
困っている時はお互い様。
それはお父さんの口癖だった。お父さんはそう言って、困っている人が居れば笑って手を伸ばしていた。
──お父さんが積み上げてきたものが、今日私を救った。ううん。今日だけじゃない。
お父さんが死んで。お母さんが倒れて。身近に頼れる大人が居なくなってしまった私達を助けてくれたのは、お父さんが縁を繋いできた人達だ。お父さんの生き方を無意識に辿ってきた私達が、更に強くしてきた繋がりだ。
その繋がりに、私達はずっと助けられてきた。
じりじりと焼かれる目元から、熱いものが落ちた。頬を伝って。手の甲を滑って。真っ白なシーツの上に吸い込まれていく。
否定し続けようと。許さないでいようと。あの時に誓ったはずだ。あの時の怒りを忘れない様にしてきたはずだ。
なのに今。心がぐらぐらと揺れている。
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