プライス・オブ・シャワー

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 今にも降り出しそうな気配を察し、素早く洗濯物を取り込む。  平日の午前11時。本日の大学の授業は午後からなので、午前中はクーラーの効いた自宅でレポートを仕上げることにしていた。8割ほど書き終わった頃、窓の外からグルルゴロロ……と不吉な雷鳴が聞こえ、見上げてみたら案の定夕立寸前といった空模様だ。お天気アプリの雨雲レーダーを確認したところ、真っ青な雨雲表示がアメーバのごとく現在地に近付いているところだった。  最後のバスタオルを取り込み終わった時、ふと窓の外に目が留まった。道路を挟んで向かい側の建物の前に何やら人が集まっている。確かあそこは公民館だ。予約をすれば市内に住む誰でも利用できる、会議用スペースのような場所だったと記憶している。  その年季の入った建物に次々と人が吸い込まれていく。見た感じでは中~高齢者が多いが、中には主婦と思しき女性や自分と同い年くらいの学生らしき人影も見える。何かイベントでもあるのだろうかと何となしに眺めていると、入り口に立てかけてある看板に目が留まった。 『夕立オークション 会場 こちら』  達筆な筆文字で、確かにそう書かれている。その不思議な字面にはて、と首を傾げるが、その間にも夕立オークションなるものを目当てに次々と人が集まってくる。  部屋の時計に目をやる。まだ授業までには大分時間があった。取り込んだ洗濯物をカゴの中に放り込み、好奇心に任せて家を飛び出す。冷やかしのつもりだったので、財布は持たずに向かうことにした。  人混みに紛れて会場内へ忍び込むと、ちょっとした講堂のような場所にパイプ椅子がずらっと並び、30~40人程の人々が肩を並べて座っている。既に席は不足しているらしく、立ち見も出始めていた。隅っこの壁際に身を寄せ何が始まるのかと待っていると、ほどなくして前方の舞台上にスーツ姿の男性が現れ、ざわついていた場内が瞬く間に静まり返る。 「皆さま、本日はお足元の悪くなりそうな中ご来場いただきましてありがとうございます。只今より本年度第12回目となります、夕立オークションを始めたいと思います」  司会者らしきその男性の挨拶に会場内から拍手が沸き起こる。なるほど、やはりオークションなのか。街中のこんな小ぢんまりとした公民館ではたして何が競売にかけられるのだろうかと舞台上を観察するも、競売品らしきものはなぜだかどこにも見当たらない。 「つきましては早速参ります。時刻は今からおよそ7分後、午前11時15分から約5分間。範囲は市内4丁目から6丁目にかけての半径1km圏内。300円から参ります。それではどうぞ!」  司会者が早口にまくし立て終わるやいなや、会場のあちこちから威勢のいい声とともに手が挙がり始める。 「500!」 「700!」 「1000!」  提示された価格はみるみるうちにつり上がっていくものの、何が()りにかけられているのかは未だに全く分からない。そしてオークションにしては初期提示価格がやけに低い。その異様な光景に混乱しつつ、自分と同じように隣で腕組みしながら競りの様子を眺めている初老の男性に恐る恐る尋ねてみる。 「すみませんあの……これって、何を競り落とすオークションなんでしょうか?」 「うん? そりゃ、名前の通りだよ」  男性はこともなげに答える。 「これから降ってくる夕立を独り占めする権利さ。このオークションで夕立を競り落としたものは、指定された時間・範囲の夕立を誰にも邪魔されることなく心行くまで楽しむことができる。最近はここらでも頻繁に開催されるようになって嬉しいよ。今やすっかり夏の風物詩だね」  そして説明を終えた男性はおもむろに手を挙げ、「5000!」と高らかに叫ぶ。いつの間にか初期提示価格の15倍以上に膨れ上がっていた。 「5000出ました! さあもう時間がない! これ以上出るか? 出ないか? 出ないか? 出ないようであればこれで――」 「6500!」  会場内の別の場所から、ひときわ大きな声が上がる。 「6500! 終了! タイムリミットにつきこれにて終了です! 落札されましたそちらのお客様、至急舞台袖までお越しくださいませ。それではこれをもちまして本年度第12回、夕立オークションを終了いたします。またのお越しを心よりお待ちしております――」  司会者の挨拶とともに、集まった人々はぞろぞろと立ち上がり会場を後にする。不満そうな顔をしている者もいれば、元から落札する気がなかったのか楽しげに感想戦をしている者などもいる。その人混みの合間から首を伸ばし、先ほど6500円で夕立を競り落としたという人物の動向を確認しようとするが、係員に追い立てられてすぐに会場の外へ出されてしまった。  束の間の熱狂から解放され、結局何だったんだと首を傾げながら家の前まで戻り、ふと空を見上げる。すると、先ほどまで鈍色の分厚い雲で覆われていた空が、雲一つない真っ青な夏晴れへと変貌しているではないか。 「あれ……」  まさか会場内にいる数分の間に降り終わってしまったのかと思い周囲を見渡すも、地面が濡れた形跡は一切ない。先ほどまであったはずの大量の雨雲だけが空からきれいさっぱりなくなっている。もしやと思いスマホの雨雲レーダーを確認すると、現在地を中心にして周囲1kmほどのエリアの雨雲表示が消えていた。 「まさか……」  嘘のように晴れ渡った空を見上げながら、しばし呆然とする。どうやら本当にここら一体の雨雲とそこから降るはずだった夕立が、何者かによって買われていったのだ。となると今頃その人物は、落札した分の夕立をどこかで独占しているということになる。 「夕立を、独占……」  正直、全くイメージが湧かない。どこか雨雲レーダーに表示されない秘密の場所で、一人大量の雨を浴びてその爽快感に浸っているのだろうか。それとも誰もいない民家の縁側のような場所で(たたず)みながら、目の前を落ちてゆく滝のような雨粒をしみじみと眺めているのだろうか。どちらにしても非現実的な話ではあるが、しかし実際にあの熱狂と現在頭上に広がる青空を見てしまってはどうにも想像が止められない。  結局その後も夕立オークションの仕組みが気になり、レポートも午後の授業も手につかなかった。昼を境にその日はもう、雨が降ることはなかった。      *  *  *  それから数日後。  先週サボった分のレポートを仕上げるべく自宅のパソコンの前でうんうん唸っていると、窓の外から人だかりの気配がした。  もしや、と思い窓を開けると、案の定向かい側の公民館にいつぞやと同じような人の列。そして入り口横にはこれまた見覚えのある『夕立オークション』の看板が。空を見上げると、果たして今にも大粒の雨を落としそうな大量の暗雲が一面に広がっている。  その瞬間、レポートの存在はすっかり頭から抜け落ちた。勢いのままに財布を引っ掴み、サンダルをつっかけながら公民館へと走る。以前オークションを見た時から、どうにもこの奇妙な(もよお)しに対する興味が抑えられなくなっていた。  会場は相変わらず超満員だった。ややあって舞台上に黒スーツ姿の司会者が現れる。 「えー皆様、本日もまた降りしきりそうな雨の中お越しいただきましてありがとうございます。それでは早速始めて参ります。時刻は今からおよそ10分後、午後1時20分から約11分間。範囲は1丁目付近を除く市内全域。1000円から参ります。どうぞ!」  前回よりも夕立の規模が大きいからか、初期提示価格も高い。そして来場客の挙手によってその値段は更につり上がっていく。 「1200!」 「1500!」 「2000!」  そんな会場内の高揚を見守りながら、手を挙げるタイミングをじっと待つ。その間にも夕立を競り落とそうとする声は後を絶たない。 「4500!」 「5000!」 「6000!」  会場の外からゴロゴロゴロ……と雷鳴が聞こえ始める。そろそろタイムリミットが近い。 「7500!」 「7500出ました! もうないか? もうないか? ないようでしたらこれで――」  素早く財布を開き、中身を確認する。……よし、大丈夫そうだ。 「10000!」  勇気を振り絞って手を挙げ、高らかに宣言する。会場内の視線が一斉に集まってくるのを感じる。 「なんと、大きく()んで10000出ました! もういないか? ……はい、タイムアップです!10000円で落札となりました、おめでとうございます!」  司会者の声とともに、会場内から軽い感嘆の声と拍手が上がる。掲げた(てのひら)に汗が(にじ)むのを感じた。やった、夕立を競り落としてやった。およそ一週間分のバイト代を費やすことになってしまったが、未知のものへの興味が出費に対する抵抗感を上回った。夕立を10000円で独占できる! 安いものではないか。 「それでは落札されましたそちらのお客様、この後至急舞台袖までお越しください。お支払いと受け渡しの手続きを行います」  その言葉に胸が高鳴る。さあ、一体どんな体験が待っているのか。受け渡しとはどのように行われるのか。受け取った後は、夕立をどのように堪能してやろうか。 「以上を持ちまして、本年度第13回、夕立オークションを終了いたします。皆さままたのお越しを――」  と、司会者が場を締めようとした瞬間だった。  バン、という鈍い音とともに、会場内の照明が一斉に消える。何事かとざわつく場内。舞台上では司会者の男性が突然のことに戸惑いつつもアナウンスをする。 「も、申し訳ありません、急な停電のようで……直ちに状況を確認し、速やかな復旧を――」  と、彼が言い終わらないうちに再び照明が点灯する。安堵の空気が漂ったのも束の間、突如司会者の元にスタッフらしき別の男性が駆け寄り何事か耳打ちをしている。内密の事務連絡だったらしいが、司会者がマイクの電源を切り忘れていたのが災いし、困惑した声が会場内に筒抜けになって響く。 「どうした? ……うん、今落札されたところだ。これから受け渡しを……何、なくなっている? 競り落とされるはずだった夕立が? 侵入の形跡……盗まれたぁ!?」  その言葉は会場内に、先ほどよりも大きな混乱を生んだ。 「夕立泥棒だ!」  会場内の誰かが叫び、どよめきが一層大きくなる。 「み、皆さまどうか落ち着いてください。身の安全を第一に。只今スタッフが誘導致しますので、至急会場内からご退出をお願いします。押さないで順番に。大丈夫、大丈夫ですので――」  必死に客をなだめる司会者。会場のあちこちからスタッフと思しき人々が現れ、未だ動揺収まらない来場客を外に出していく。 「あ、そちらのお客様。お手数ですが、少々舞台袖に……」  人の流れに乗って外に出ようとしたところ、スタッフの1人に呼び止められる。通されたのはステージ脇の、小さな楽屋のような部屋だった。 「この度はたいへんな不手際をお見せしてしまい、誠に申し訳ございません」  部屋に入るなり、先ほどの司会者らしき男性が勢いよく頭を下げてくる。 「その……たった今お客様に落札いただきました夕立が、何者かに持ち去られていることが判明いたしまして……オークションの最中に裏口から侵入し、奪って逃走したものと思われます。今のところ足取りは掴めておりません。もちろん警察へ被害届は提出いたしますが、その……現在の時刻を考えますと、既に盗まれた夕立は犯人によって消費されてしまった可能性が高く……」  夕立を、消費。実におかしな日本語だが、今この状況では妙に納得せざるをえない。 「本来であれば落札されたお客様に楽しんでいただくはずだった夕立を悪賊(あくぞく)に横取りされる形となってしまい、お詫びのしようもございません。ひとえに私どものセキュリティへの慢心が引き起こした結果でございます。本当に、申し訳ございません」  司会者をはじめその場にいたスタッフ全員に深々と頭を下げられてしまい、慌てる。 「いえ、とんでもない。夕立なんてどうせまた降りますし、大丈夫ですよ――」  その後、引き続き平謝りするスタッフの方々をなんとかなだめ、結局受け渡しの手続きは行われずに会場を後にした。品物が持ち去られてしまったのだから当然といえば当然である。  公民館から外に出て、ふう、と息をつく。とんだアクシデントもあったものだ。せっかく夕立を独占できる機会だと思ったのに――どうせまた降るだろうとは言ったものの、会場を出た時点で既に次なる夕立への期待や興奮は大分薄れてしまっていた。なんというか、そんなに簡単に売買されたり盗まれたりするものだと分かってしまった以上、あの清々(すがすが)しい夏の雨がそこまで魅力的ではないもののように思えてしまう。  会場に侵入したという犯人は、そこまでして夕立を独占したかったのだろうか。突然降り出して(またた)く間に止んでしまう、夏の豪雨。その刹那の高揚感を、盗んでまで手に入れたかったのだろうか。そして今頃は、それを心行くまで享受しているのだろうか。  急な気疲れを誤魔化すように背伸びをし、空を見上げる。オークション前に立ち込めていた暗雲はどこにもなく、そこには青空が広がるのみ。ただ前回のオークション直後とは異なり、引きちぎられたような雲の小片が空の所々に散らばっている。  それは、力づくで持ち去られたように見えなくもなかった。      *  *  *  以来、その公民館で夕立オークションが開かれることはなかった。  あの日から天気予報で雨の気配が見られる度に、買い物がてら街中を散策してオークションが開かれていないか探してみるのだが、今のところ見かけていない。そうしているうちに夏は過ぎ、涼風を感じる季節になってしまった。もう今年はこの街でオークションが開かれることはないのだろう。  それでも、ふと空に黒々とした雲が迫るのを見かける時、この街のどこかであれを手に入れたいと切望している人がいるのだろうかなどと思ったりする。そしてまたあの刹那の熱狂が繰り広げられるのだろう。ある者は大金を費やして、ある者は非合法的に持ち去って。各々のやり方で、夏の雨を独り占めする。  願わくば前者を選ぶ側でありたいと、個人的には思うのだ。
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