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「私に、勝ったという事にしておきましょう」
「……は?」
父との試合で負けた後、ヒュイスはウェジットに頼んで試合をしていた。稽古は死ぬほどした。これ以上ないくらい、何度も何度も。だから試合形式にすれば少しは実力が伴うかもしれないと思って、夜な夜な隠れてウェジットと試合をしていた。
そんなときに放たれた言葉だった。
「なに、それ。どういうこと?」
ヒュイスはウェジットの言葉に理解できず、茫然と目を開きながらウェジットを見た。しかしそんなヒュイスとは対象的に、ウェッジは冷静にヒュイスを見返す。
「王子が今の試合で私に勝ったことにすればいいのです。私はこの国で二番目に強いとされている。そんな私に十歳の子どもが勝ったとなれば、誰もあなたに簡単に手を出そうとは思わないはずです」
「……なにが、言いたいわけ?」
「……」
ウェジットの信じられない言葉に、心臓がどくどくと鳴る。こんなにうるさく鳴っているのに、身体はまるで寒空に放り出されたかのように冷たい。
わかっている。ウェジットが何を言いたいのか、ヒュイスだってわかっているのだ。
けれど、認めたくなくて、わからないふりをする。
剣を持つ手が震えた。
「僕の、僕の剣は、剣先は、まだ地面に向けたままだ」
「……」
震える身体で、震える声で呟きながら、ヒュイスは目の前のウェジットを睨みつける。その表情はとても悲し気だった。
「僕は、君に勝ててなんかいない!!」
「いえ、王子。王子は私に勝ったのです」
そう怒りで吠えたヒュイスにウェジットは否定するようにゆっくり首を振った。その所作にすらも怒りを覚えカッとなった。
「……ッふざけ……!」
「私は、負けたのです」
ヒュイスの言葉を遮るようにウェジットは言った。力強く、有無を言わせぬというように。
その言葉に、声に、ウェジットの決意が読み取れ、ヒュイスは声を発することができなかった。
「あなたを守るためには、そうするしかない」
真剣な表情でヒュイスにウェジットは言った。しかしヒュイスは茫然とするしかなかった。
見限られた。
諦められた。
もうお前は無理だと、烙印を押されてしまった。
育ての親のウェジットに。
密かに憧れていた、ウェジットに。
ぐっとヒュイスは唇を噛んだ。
自分に才能がないことぐらいは自分が一番よくわかってた。けれど、それを認めて欲しくなかった。父が、母がヒュイスを諦めても、ウェジットにだけは諦めて、見限ってほしくなかった。
悔しくて、情けない。
そう思うと笑いがこみ上げてきた。
「なに、それ……はは」
突然笑い出したヒュイスにウェジットは困惑の表情を浮かべた。いつも無表情の男が今日はよく変わるものだ。そんなどうでもいいことを考えていた。
「なに? もしかして母さんから頼まれたりしたの? ああそうだよね、お前は母さんが好きなんだから。そりゃ聞いちゃうよね、仕方がないよね」
そうだ。そもそもウェジットは母のそばにいたいという望みでヒュイスに仕えているだけなのだ。決してヒュイスのためというのではない。そんなこと最初からわかっていたはずだろう。
しかしウェジットは悲しそうに眉尻を下げ、ヒュイスの言葉を否定する。
「王子、違うのです。私は……ッ!」
「もういいよ。わかった。……うん、そうだね。君の言う通りだ。僕だってこんなわけのわからない風習で死ぬのなんか嫌だしね。君は間違ってないよ」
「王子……」
今度はヒュイスがウェジットの言葉を遮った。
もう何も聞きたくなかった。これ以上は虚しくなるだけだ。
ヒュイスは肩をすくませながら、なるべく普段通りに振る舞った。
生意気で、人を小馬鹿にしたような、いつもの皮肉屋の自分で。
「わかった。君の言う通りにするよ。僕は君に『勝った』。これでいい?」
「……はい」
そう項垂れながら返事をするウェジットに、ヒュイスはゆっくりと目を伏せた。
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