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その日、いつも以上に緊張していた。今思い返しても体はがちがちだったと思う。
「緊張してんのかよ?」
声をかけられはっと顔をあげる。ダンスはもう始まっていた。自身の身体を密着させて彼は踊りながら小声で声をかけてきた。顔をあげた先でスバルは、少し目を細め眉間に皺を寄せていた。不機嫌そうに見えるが、これが彼の標準だ。
ユキは見透かされたことが恥ずかしく、踊りながら顔を逸らす。
「も、申し訳ございません……」
「……別に」
このしゃべり方も王族としてはふさわしくないしゃべり方だが、公務ではちゃんと話しているし、このような不遜なしゃべり方になるのはユキの前だけだと知っている。それに何か特別なようなものを感じ、少しくすぐったい。
しかし今は申し訳なさと不安でいっぱいだ。
(今周りからはどのように映っているのか……。ちゃんと相応しい婚約者として映っているのかしら。……あ、今ステップ間違えた……。どうしよう、もしダメだったら……)
婚約が取り消しになるかもしれない
そんな不安が胸を渦巻く。
慣れたダンスステップも徐々にリズムが取れなくなっていく。
身体が、思考がうまく働かない。
足元がどこかふわふわしていて自分が躍っているのかわからなくなる。
まるで真っ暗な空間を歩いているかのようだ。
すると、ぐんっと上半身が後ろに傾く。
「……ッ!?」
腰に添えられたスバルの手でぐっと体重を支えられ、身体が地面に着くことは免れた。しかし上半身だけ体を逸らすような態勢からぐっと添えられていたもう一方の手で力強く引かれ、その反動で先ほどのダンスの態勢に戻った。
「な、なにを……!」
犯人は目の前の婚約者だ。
わざとこけさせるように足を絡め、ユキの態勢を崩したのだ。
驚いてスバルの方を見上げると、口元を挑発的にあげ、めったに見れない彼のいたずらっぽい顔が見えた。
それに胸がドクンと鳴った。
「しけた顔してるからだろうが」
それはもう、本当にめったには見れない楽しそうな顔だった。笑った拍子に少し細める瞳が優しくて、灰色に近い青があまりに美しくて、一瞬ユキは見惚れた。ドキドキと先ほどとは違った意味で心臓が高鳴っているのを感じた。
周りからは先ほどのアドリブのおかげか小さな歓声が聞こえる。それに少し耳を傾けていると、自分の体の力が抜けていることに気づく。ユキはちらりとスバルの方を一瞥した。
――もしかして、リラックスさせようとした……?
そう考えたとき、ぶわっと顔に熱が集まる。
それを見られたくなくてまた俯く。
ユキが緊張してがちがちになっていることを察して、わざと強引なアドリブを入れてユキの緊張をほぐそうとしてくれたのだろうか。
優しい人だ。それに、そのことを悟らせないように悪態をつくことも忘れていない。
気まぐれな、いたずらだとユキに思わせて気づかせないようにした。
「~~~ッ」
わかりにくい。だからくすぐったいのだ、この人は。
その日、無事ダンスを終えた。周りからは拍手喝采で褒めたたえられ、周りからユキに対する悪い噂は払拭された。しかしユキの踊りが普段通りに踊れたのはあのアドリブのおかげだったのは間違いない。
自分の力で乗り切れなかったことは少し悔しかった。しかし知ってか知らずか、彼の行いで自分の悪評が吹き飛んだということが、彼に認められている気がしてユキの気持ちは舞い上がった。
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