【ワンライ】神鳴り

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「神さまの声って聞いたことある?」 白矢さんは突然そんなことを言い出した。 唐突すぎる質問なのに、しかし私には心当たりがあった。一瞬、その心当たりを白矢さんが知っているので、そんなことを聞いてきたのかとさえ思った。 あれは確か、詳細を忘れてしまったが大きな神社で神さまをお迎えする式典だったか。扉を開くとき、私達は中を見てはならないとして顔を伏せていた。 そのとき、扉を開く人が声を発したのだ。それは一瞬、何かの楽器かと思うほど、空気を持つ声だった。冷静になって考えてみればただの唸り声だったのだろうけれど、そう、私達が理解するような言葉ではなかったのだ。 あれが何だったのか神事に全く疎い私には解りかねたが、神さまがいる部屋の扉を開けるのだ。きっと呼びかけか何か、少なくともあれは神さまへ向けられたものだったに違いない。 そうであれば、同じようなを、神さまもまた使うのだろう。 白矢さんの問に強いて答えるなら、そのときの声なのだが。 教室の窓の外は重い曇天だ。暗いはずなのに、なぜか奇妙に明るい空だ。時折、雲の中でチカチカと光が灯る。雷が横滑りして雲の中を縫っているのだろう。 白矢さんは黒く長い髪を肩の上に流し、隣の席に座る私を見ていた。 「神さまの声を真似した声、なら聞いたことがあるのかもしれない」 「へえ。面白い場所にいたのね」 真っ黒なアーモンドの瞳が弧を描いた。白矢さんはどこか猫を思わせるような女の子だ。 彼女が前を向くと、つんと小さな鼻の輪郭が現れる。 「白矢さんは?」 聞いたことがあるのか、と尋ねる。彼女はにこりと笑って窓の外を指した。 遠くから地鳴りに似た音と振動が、しかしそれは空から振ってくる。 「雷。雷鳴。神鳴り」 躊躇いなく白矢さんは机に鉛筆で書き記していく。神、鳴り─── 「神さまが鳴くの?」 まるで鳥のように。私は驚いて尋ねてしまった形になったが、式典で見た光景を思えば「鳴く」という表現は相応しい気がした。 白矢さんは私のリアクションを楽しそうに見つめている。 「鹿子(かのこ)ちゃん、さっき『声真似をした』声を聞いた、と言ってたね。  なんと言っていたのかは分からない感じだった。  神さまの言葉は分からないの、私たち人間には。まったく別の存在だから」 だから、あくまで『鳴く』としか表現ができない。白矢さんはそう言った。 「一生懸命鳴いてるのよ」 彼女が話す神さまは、なんだか上位の存在であるというよりも、並行した、しかし触れることのできない同志のようだった。 友だちとも身内とも違う。だが、奇妙な親密さがある。 「でもどうして鳴いてるのだろう」 窓の外を眺めながら、私は首を傾げた。目の前で雲の間を走る光は、しかし静かなものだ。思っているよりも遠くにあるのかもしれない。 ここまではまだ声が届いていない。 「稲妻って、どうして稲の字があるか知っている?」 白矢さんは再び唐突な質問をしてきた。彼女の白い指先が机に稲妻の文字を記す。 確かに。なぜ雷の別名に「稲」が付くのだろう。 私が首を傾げていると、白矢さんは答えてくれた。 「雷の多い年は豊作になるの。だから稲の妻なのだって」 「お嫁さんなの?」 「昔は男女関係なく『つま』と呼ぶんだよ」 私の質問に、白矢さんはふふ、と可愛らしく笑う。彼女の笑みは猫がまどろむのを見るように、私をふんわりとした気持ちにさせる。 「神さまは、では、稲を豊作にさせたいのかな」 彼女の顔を眺めながら私が続けると、白矢さんは私の方へ手を伸ばした。その、背後で。 音もなく光が炸裂する。 「」 わずかなタイムラグ。凄まじい振動と轟音が教室の窓をビリビリと叩いた。 かなり近距離に落雷したのだ。 私は思わず白矢さんの手を握りしめてしまった。 「…… 大丈夫?」 窓を凝視していた私の傍で、白矢さんがそっと声を掛けた。引き寄せてしまったようで、彼女は少し椅子からずり落ちそうな状態だ。 私は慌てて手を放し、白矢さんの肩を支えた。 「ごめん、大丈夫。びっくりしてしまって」 「随分近かったね。大きな声だった」 「一生懸命なのね」 「そう、一生懸命、探してるのだって。  地に降りてしまった半身を」 窓の外を見やり白矢さんは呟く。半身を。いなくなってしまった、半身を。 呼びかけているのだ。大きな声で、地上へ向かって。 その半身が困ることがないように、大地を豊かにしながら。 「必死だわ」 私は思わず呟いてしまっていた。あまりに天上が健気で、懸命で。 、白矢さんは黒い目を笑わせる。嬉しそうに私を見る。 「うん。でも、地上は楽しいもの。  聞こえないふりをしているのよ」 私たちには分からない言葉だと、…… 嘯いて? 言葉の外側で、白矢さんはそう言ったような気がした。長い黒髪を指先で弄び、窓の外へ視線を投げた。 雷鳴はごんごんと燻るように空を鳴らし、今日も見つからない相手を呼び続ける。 光の贈り物を健気に大地へ投げ込みながら。 それを聞く地上のは嬉しいのだろうか。私は白矢さんが答えを持っている気がしていた。 だが、その答えはきっと私に分かる言葉では返ってはこないだろう。
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