3 雨のはじまりを見たことがある?

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昔に比べ、西暦2809年の乗り物は凄まじく発達している。 人間の想像した『こうなったらいいのにな』は大体現実化していった。 誰かが思った。 サンタクロースのソリが実際に空中を駆けまわったら面白いのに。 果たして、愚にもつかない妄想から爆誕したソリは、今や、トナカイの存在を置き去りにし、空中を滑空する最もカジュアルな乗り物として市民権を獲得していた。 「リツと一緒に乗ってたんだけどさぁ、あいつ、まあまあ運転の荒いやつで」 誰? と検索ベースに手が伸びる。 すんでのところで止めた。いけない。AIとして、いちVSCとして、この一線は越えてはならない。 「中々の速度で滑空してるんだけどね、不思議なことに乗ってるとそこまで速度出てるようには思わないんだよね。まあ、飛んでたのが砂漠地帯でさ。あんま景色に変化無いところだったせいもあるのかなぁ。で、とにかく、ほら、換気口のところから、ふいに雨の匂いがしたんだよ」 ──突然、瑠香さまの語りが、私の中で映像として形を持ち始めた。まるで映画のワンシーンを見ているかのよう。 雨の匂いを嗅ぎつけた瑠香さまが辺りを見回す。夕暮れ近くの地平線、砂の果てにある赤い空の一部は、鉛色に染まっている。 同乗するリツさんが思い付いたようにつぶやく。 「競争しようか、ソリと雨雲、どっちが勝つと思う?」 「え、」 ぐん、とソリは空高くに舞い上がった。瑠香さまが何を言う暇も無く、シャアアンと澄んだ滑空音が響き渡る。S字を描くように蛇行しながら、ソリは、あっという間に加速した。 ぎしっと躯体が軋む不穏な音に、瑠香さまの顔が引きつる。みるみるうちに土手腹を赤黒く染めた雲が膨れ上がっていく。 ソリの行く手には、砂漠で立ち枯れた一本の木があった。 「あの木の所から! いくよ!」 リツさんは楽しそうに笑って、ソリを急降下させた。 ソリが唸りを上げて突っ込む。黒く焼けた枝を掠めた直後、目の前に、砂の大地が迫る。 瑠香さまは咄嗟に手摺を握り締め、ぎゅっと目をつむった。巻き上がった砂粒がばちばちと躯体を打つ。 次の瞬間、瞼の向こう側がさっと明るくなった。 瑠香さまが目を開けると、透明な空がひろがっていた。 ほっとしたのもつかの間、また高度が下がった。ソリの右手には乾いた砂の大地が、左手には濡れた砂の大地が出現する。 リツさんは雨の境界線すれすれに滑空していた。豪快な雨粒が、次々と地面を浸食していくのが見える。 「風いる!?」 「いる!」 瑠香さまはリツさんの問いかけに、何一つ深く考えることなく、反射的に返事をした。 リツさんが透明な防風壁を解除する。当然のごとく、お二人は、凄まじい風圧と轟音、強烈に巻き上がっては跳ね踊る濡れた砂塵に見舞われた。 「もういい!」 瑠香さまの叫びに、 「泥だらけになっちゃった!」 と笑うリツさんが、防風壁を元に戻し、再度ぐんと高度を上げた。ソリの中には湿った砂やぬるい風の香りが充満している。 「後ろ見て」 とリツさんの無邪気な声が響く。 「───……!」 あまりに美しく、同時に、酷く不穏だった。 雨を孕んだ黒雲は、常に形を変えつつ空中を這う、巨大な生き物のように見えた。 凄まじい量のエネルギーを耐えず吐き出していないと自身を保っていられない、といわんばかりに、猛っている。 おおよそ人知の及ぶところでない。 人の生み出したソリなど、ひらひらと、その鼻先を掠めて舞うちっぽけな蝶に過ぎない。 ソリが、細かく揺れた。 今、まさに、背後にどうっと吹き荒れる風に煽られているのだ。ぞっとした瞬間、パリパリと奥を走る光が見えた。 「ちょ、感電しちゃわない!?」 「大丈夫! じゃなきゃこんなこと、する訳ないじゃん!」 瞬間、ビシッ! と大きな音を立てて躯体にひびが入った。 「あ」 「リツ!?」 「……感電はしなかった。感電は」 「ちょ、」 続けざまに、ビシビシッ、と数本の亀裂が躯体に走る。瞬く間に失速したソリは、あっという間に雨雲に飲み込まれた。 死ぬ、こんな呆気なく? と瑠香さまが墜落するソリの中で我を失いかけた瞬間、シャアアアアアン! と激しい滑空音が遠くから聞こえた。 別のソリだ。 砂の大地すれすれを飛び、雨粒を弾き、砂水を蹴立てて、瞬く間に落下地点目掛けて迫ってくる。 ナイス、アキ! とリツさんのとびきり明るい声が響く。
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