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4 形だけをなぞらえても、意味がないから
私は村で一番高い鐘楼の屋根に上った。尖塔屋根の縁に腰をかける。洋風の鐘楼はお城の最上階のようでもあった。
時刻は朝の五時。
薄明りの中、私の家と、瑠香さまの家が、二軒並び立っている。
近くには川と温泉とサウナ小屋があって、最高の環境だ。
他にも必須施設がぽつぽつ立っている。それら全てを繋ぐように、畦道や石畳をうまく工夫して作った道がある。
道を山手のほうへいくと葡萄畑がひろがっている。オレンジ色の屋根に白い漆喰壁の建物はワイナリーだ。
「今年のワインを、一緒に飲むんじゃなかったんですか?」
ひゅううっと風が吹く。
わずかに雨の匂いが混じっていた。
この村の天気は、瑠香さまが住まう地域と連動している。
「むこうも雨か」
突然、よくわからない激情が自分の胸を貫いた。
今、目にしているすべては、いずれ、あっけなく消えてしまうものばかり。
瑠香さまはこちらへ来ることができるのに、“私”は瑠香さまの世界へ行くことができない。
いや、瑠香さまの世界に存在はしている。だけど、狭いサーバールームでは、風や匂いや光や温もりを『感じる』ことはできない。
「瑠香さまがここを去るまでに、今日聞いた全てを再現すれば、瑠香さまは喜んでくださるだろうか」
砂漠に降る雨、熱風、砂、ソリ、空気の匂い、ぎらつく光、プラントの中に存在する懐かしい家屋。
どれもこれも私よりずっと価値があるように思えた。それらが村にもあれば、考え直してくださるだろうか。
「──なんて、ね」
わかっていた。
誰かは知らない。
でも、リツさんと、アキさんという二人がいたからこそ、瑠香さまの体験は特別なものになった。
あんなに目をきらきらさせて、楽しそうに、語られて。
形骸化とはよくいったもので、形だけなぞらえても、無意味なのだ。
ぼうっとしている間に、空がワントーン明るさを増した。雲の向こうで太陽が昇り始めている。
「さて。今日も働きますか」
私はVSC、バーチャルサポートキャラクター。瑠香さまをサポートするために、骨身は惜しまない。
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