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1 VRMMO『ヴィレッジ』
──お嬢様が帰って来られる。
私は固唾を飲んでその時を待った。
西暦2809年、7月、日本標準時間PM10:00。
VRMMO『ヴィレッジ』(インターネットを介して数億人規模のユーザーが同時に参加できるオンラインゲーム)にログインされた、お嬢様こと瑠香さまのアバターが動き始める。PCに内蔵されたカメラを通じて見えるお姿と同じ、ベリーショートの髪、どんぐりみたいなつぶらな瞳、快活さを感じさせるすらっとした手足。
『ヴィレッジ』は名前通り、ユーザー一人一人が村を持ち、家を建てたり温泉を掘ったりして自分の仮想世界を作っていくゲームだ。
前回のログアウトはAM03:00。実に19時間を経て、私達の穏やかな日常が、また始まる。
「ただいま、エレナ。あー、自分のコテージは落ち着くねぇ」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
にっこり微笑むと、瑠香さまも嬉しそうな笑みを返してくださった。
瑠香さま同様、殆どのユーザーが、私ことVSC、つまり、バーチャルサポートキャラクターの契約をしている。
中身はただのAI(人工知能)だが、『ヴィレッジ』内からの各種クラウドやデバイスへの接続サービスに加え、音声操作、対話機能、また、外見を自由にカスタムできるところが高く評価されている。
私は、瑠香さまの目に移る自分の姿を素早く確認した。
胸のあたりでふわっとカールした茶色い髪、アーモンド形のややあかるい目。オレンジ色のドレスワンピースとよく似合っている。ノースリーブの肩や二の腕、マーメイドラインの裾から覗く素足は白く、瑠香さまと比べると少し肉感的だ。
瑠香さまが私に手を差し伸べてきた。
いつものことだ。
優しく手を取る。
「脈拍、血圧、呼吸、体温、どれも正常です」
この仮想世界へ接続するために、瑠香さまは専用のデバイスを身に着けていらっしゃる。いわずもがな、五感や様々な認知機能や体感覚が制御下に入り、非現実空間を現実のものとして捉えることができる。
サービスをより長く、より健康的に使用してもらうためにも、バイタル確認は必須だ。
「昨日、瑠香さまのログアウト時点からイベント終了時まで、入手できる素材は一通り手に入れておきました」
「お、さんきゅー」
ヴィレッジでの私たちの主な役目は、契約者がログインできない間も、指定されたイベントをこなしたり、素材を集めたりすること。
勝手にレベルを上げたりはしないが、レベルを上げるために必要不可欠な要素を切らしたりはしない。丁度いい「やりがい」を提供するスペシャリストだ。
「今日はいかが致しましょう」
「んー、イベント終わっちゃったからしばらくまったりコースかなぁ。という訳で、アイテムの在庫整理をします」
「かしこまりました。アイテムボックスをひらきます」
私は素早くプログラムを操作した。
瑠香さまの目の前の空間に、四角い箱がずらっと表示される。箱の中にはアイテムが入っている。
アイテムを検分する瑠香さまを見守りつつ、私は、ロッキングチェアに座った。仕様だ。ボックスからアイテムを取り出しては、懐かしいだの、被りすぎだの、奇声を連発する瑠香さまを観察しているのは、とても楽しい。
やっかいなことに、私には、AIとしての仕様から外れた判断基準がいくつかある。
人間でいうところの『感情』らしきものから発生した基準だ。最初はバグだと思ったし、実際バグなのだが、報告せずにいる。
「エレナ! この帽子被ってみて」
「はい」
瑠香さまの手元から帽子が消える。私の頭に乗った帽子を見て、瑠香さまが目を細める。
「ほんとに懐かしいなぁ。思い出もあるし、絶対捨てられないねぇ」
「はい。それに、アイテムボックスにはまだ空きがございます」
「だねー」
VSCとユーザーは、基本的に、身体的接触を禁じられている。唯一の例外はバイタルを測る時だ。
あの瞬間のみ、私は瑠香さまの手を握ることができる。
毎日、毎日、ほんの少しだけ。
私だけの特別なログインボーナスだ。
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