へづねぇどぎは二人旅

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『山形方面 東根まで 乗せて』  秋田駅からすぐの大きな通りで、学帽に学生服姿の男がスケッチブックを掲げていた。  普段なら、ヒッチハイカーなんて気にもとめない。けれど、いまどき珍しい出で立ちが目立っていたことと、彼の目的地が自分と一致していたことで、私はつい足を止めていた。 ◆◆◆  久々の帰省だった。  十年ぶりに歩いた駅前は、昔と変わらぬ風景と、再開発が進んだ地域とが入り交じっている。あったはずのものがなくなり、新たなものが建ち、人の流れが少し変わったように思えた。  特に千秋公園の向かいの、なかいち、と呼ばれるあたり。昔はやや暗くて寂しい印象だったものが、明るく開けた街へと変貌を遂げていた。イベントの幟や真新しいオブジェは目にも鮮やかだ。行き交う人の数も記憶にあるよりも随分多い。  そんなぴかぴかのオブジェ――マンガのように目が大きく、可愛い顔立ちのそれは、どうやら狐のようだ――らしきものの傍らに、彼はスケッチブックを持って立っていた。  学生服はともかく、学帽なんてバンカラな高校でも応援団くらいしか着ないだろうに。増して、平日の昼下がり、学生なんて居るはずもない時間帯。明るい街に、ひとつだけの黒い姿はよく目立っていた。  私が「ちょっといいですか」と声をかけると、彼は目深にかぶった学帽の下から目線をくれた。少年と青年のあわいに立つほどの年格好、色素の薄い髪と、涼しげな印象の切れ長の瞳が垣間見える。 「どうぞ」 「東根に行きたいんですよね」 「んだ」  見た目の若さに似合わぬネイティブな秋田弁が返ってきて、私は面食らう。それを悟られぬよう、続けて尋ねた。 「私、東根に住んでて、これから帰るところで。車で三時間かかりますけど、それでもよければ、乗りますか」 「さんじかん」 「ええ、多分それくらいで着くかと」 「そいだば、はえぇな!」  彼は目を輝かせて笑う。そして、私に向かってぴょこんと頭を下げた。 「頼む、乗せでけれ」  彼は、ジローと名乗った。  どうして東根に、との問いに、彼は「知り合いのどこさ行ぐ」と答えた。助手席に、ぽすん、と収まったジローを、私はちらちらと観察する。もしかしたら家出少年かもしれないと、この段になって初めて考えたのだから私の鈍さにもほどがある。いまさら降りろとも言いづらくて、そしてジローに少し興味も湧いてきてしまって、結局私はそのまま車を出した。 「ジローくんは」 「ジローでいい。あど、敬語も、いらねぇ」  こちょけ、とジローは頭を掻いた。丁寧にされるのは、くすぐったい、らしい。  不意に、『こちょけえ』『こちょぐるな』と、亡くなった父の声がした気がした。地元を離れて長くなり、秋田弁はもう忘れかけているけれど、子どもの頃に父とふざけ合ったときのことを鮮明に思い出し、目の前がくらりと揺れる。 「なした? あんべわりぃが?」  ジローが呼びかけてくれている。そう、今日は一人ではなく、彼を無事に東根まで連れて行かなくてはならない。  心配そうにこちらを覗き込む少年に、今は運転中なのだ、と私は気を引き締めた。 「ううん、なんでもない。……ジローは、どこに住んでる子なの? 住所は?」 「このへんだ」  短い答えだ。この辺とは、この再開発地区のことだろうか。商業施設や公共施設しかない地区だと思っていたけれど、私が知らないだけで、人が住んでいる建物もどこかに残っているのかもしれない。 「家出とかではないんだよね?」 「なして、そんたごど聞ぐ?」 「そのかっこ、学生さんでしょ。未成年誘拐とかしたくないしね」 「おれ、としょりだがら」 「おじいさん?」 「んだ」  私が笑うと、ジローは口をとがらせた。拗ねたように「ほんとなんだけど」と呟いているのが、ちょっとかわいい。  年寄りだなんてごまかしているけれど、格好からすればやはり学生なのだろう。どうやら何か訳ありで、だからこそのヒッチハイクのように思える。しかし、彼に車を乗っ取られるとか、何かの事件の巻き添えになるとかは、どうやらなさそうだ。 「東根には、どんな知り合いがいるの?」 「カノジョさ会いに。あど、墓参り」 「へえ。彼女ね、いいなあ」 「んだべ?」  悪びれもせず、ジローは八重歯をはみ出させ、にかっと笑った。 「『ひっちはいく』で行げば、土産話になるべがって、な」  助手席のジローの向こう、車窓に流れる新しい建物群は、さっき街歩きをしていた限りでは、まるで私を拒絶しているように見えた。今の私はよそものだ、と言わんばかりに。実際に壁を作っているのは私の方だとは、重々承知だけれども。  しかしジローの秋田弁は、そんな私にも安心感をもたらすものだった。残念ながら私は方言で流暢に喋ることはできないけれど、意味はだいたい分かるので、会話に支障はなさそうだ。人前で方言を話す若者はいまどき珍しいというのに、加えて、ジローのそれはかなり年季の入ったもののように思えた。初対面の彼と話すのが懐かしい、そう思ってしまうのは、ここで暮らしていた昔を思い出すからだろうか。  前方には、お堀の蓮。堀の様子は多少変わったけれど、これも懐かしいものの一つだ。蓮の鮮やかな緑は生気にあふれ、のちの花の見事さを想像させるには充分だった。みどり一色の時期も上品なピンク色の花も、高校への通学の時に毎日見ていたから、私の記憶にもはっきりと残っている。  不意にジローが振り向いた。きゅっと目尻がつった瞳はきらきらと輝いている。 「あんだの名前は? なして東根さ行ぐなだ? 秋田の人でねぇの? 山形さ住んでらの?」  今度はこちらの番と言わんばかりに、ジローが畳みかけてくる。好奇心を隠さない姿勢に苦笑しつつ、私は口を開いた。 「牛島カスミっていいます。出身は秋田だけど、今住んでるのは山形。今日まで里帰りしてて、今から家に帰るところ」 「東根さ住んでらのが」 「そうだよ。職場が東根」 「んで、何しに秋田さ?」 「お葬式。父が亡くなったの」 「あー、悪ぃごど聞いだな」 「気にしないで」 「んだって、悲しいべ。残される方は、先に逝ぐよりもへづねぇもんだべ?」  父の死は本当に突然で、いまだにあまり実感がない。それよりも、葬儀を終えたとたんに母が縮んだように小さくなってしまったことの方が、私にはよほど現実味があった。母が頼れる身内は私しかいないのに、仕事の忌引き休暇が終わってしまう。山形へと戻らねばならない。 「そうだね。……秋田にひとりで母を残すのは、心配かな」 「おれは、カスミのごど聞いだつもりだった」 「わたしは、実はまだ、よくわからなくて。父が居なくなったってこと、理解できてないんだと思う」  ジローは「ほんとにへづねぇどぎは、己じゃ分がらねもんだ」と言った。  悲しいときは、自分では分からない。その言葉にもいまいち頷けないくらい、心のどこかが鈍ってしまっている。あるいは、わざと鈍感になって、心を守っているのだろうか。 「そうかもね。涙も出ないもん」 「出そうどして出るもんでもねえべ。んだども、出してぐねぇどぎに出だりすんだ」  そういえば、ジローも墓参りだと言っていた。ならば多分、彼も誰かに『残された方』なのだろう。だから、初対面の私にも、こうして優しく言葉をくれるのかもしれない。  ジローはまだ何か言いたげにしていたけれど、やがて窓の外へと目をやった。 ◆◆◆  高速道路で行けるのは湯沢市の南、合併前は雄勝町と呼ばれていたあたりまでで、その先は線路に沿うように通る国道を行かねばならない。インターチェンジを降りるとすぐにコンビニがあって、私はいつものようにその駐車場へと入り込んだ。 「ちょっと休憩してもいいかな」  うなずくジローを確認し、私は車を降りて伸びをする。ここまで約一時間、行程は残り三分の二。このコンビニで休憩するのが帰省のときの恒例だった。 「ジローも身体伸ばしたら? 東根まで、まだもう少しかかるよ。背中とか、痛くない?」 「んだなぁ」  いだぐはねぇけど、と言いながらも、助手席から降りたジロー。両手を組んで前にぎゅっと伸ばす仕草はまるで子犬のようで、私は思わず吹き出した。 「なして笑ってら?」 「年寄りっていう割に、可愛いポーズだよね」 「放っとげ」  少し不機嫌そうに言ってから、ジローは「こご、どの辺だ」と尋ねた。雄勝、といってもピンときていないような顔のジローに、私は車のドアポケットから道路地図を出してきた。 「秋田駅がこの辺で、今ここ。東根はここ」 「もうこんたどごまで来たのが」 「車、あまり乗らない? 慣れてなさそうだね。じゃあ、電車を使うのかな」 「いや、走る」 「秋田から東根まで?」 「んだ。おれ、昔は、秋田と山形をなんども行き来したもんだ」 「走って?」 「んだ」  冗談かと思って笑ってはみたけれど、ジローはいたって真顔だった。  その後は、国道十三号線をひたすら南下する。山と田圃と少しの市街地という景色に飽きた頃、私はさっきから気にかかっていたことをジローに尋ねた。 「ねえ、さっきコンビニでしてた話、本当なの?」 「なにがだ」 「秋田と東根の間を走ったって」 「聞きてぐなったが」 「……ちょっとだけ」  ジローは、ふ、と微笑むと「へば、むがしっこどご、少し喋る」と言った。  ――昔、久保田のお殿様が山に城を建てた。そのせいで、前から山に住んでいた古狐とその眷属は、すみかを失ってしまった。古狐は、『新しいすみかをくれ。そうすれば恩返しに、一族みな、殿様のために働く』と殿様に直訴した。それで、殿様は城の中の一角を狐たちのすみかとして与え、古狐にはヨジロウという名をくれた。  ヨジロウ狐は殿様にたいそう感謝し、交わした約束の通り、殿様の家来――飛脚となった。まるで風のような早足は人間離れしていて、秋田と江戸の間を六日で往復したという。  しかしヨジロウは、東根に滞在中、その足を妬む者に正体を暴かれて、ころされた。ヨジロウの死を悼むため、あるいは祟りをおさめるため、秋田にも東根にも、ヨジロウの名を冠する社が今も存在する。秋田は千秋公園に、東根は四ツ家に――。  久保田、いまの秋田の殿様と言えば佐竹氏で、ヨジロウを祀る神社があるという公園は、ジローを拾った『なかいち地区』の目と鼻の先だ。久保田に東根、江戸と、地名も実在のまちの名だから歴史の話かと思えば、狐が恩返しのために人間に仕えて飛脚をしたなんて、まるでおとぎ話――むがしっこ。  ならば、作り話だと笑い飛ばせるかと言えば、ジローの語り口がそうはさせてくれなかった。ジローの声からはこれまでの無邪気さやかわいらしさは消え、まるでおどろおどろしい怪談を呟いているかのようだった。 「それ、ほんと?」  私は再び、疑問を口に出していた。 「ジローは、そのヨジロウ狐だって、こと?」 「んだ、っていえば、なんとだ?」  彼は、明るい口調に戻り、そう言った。 「こんたに世話なってるのに、ほんとのごど黙ってるの、なんか騙かすみてえで、やんたぐなった。……信じるも信じねえもカスミの心一つだ。ただ、おれは、ばすこかねぇ」 「ばす」 「おめ、秋田弁わがらねのが。……得体の知れないおれを拾って、送り届けてくれるっていう親切な人に、嘘は、つかない。つきたくない」  初めて、ジローから標準語らしい言葉が出た。ゆっくりとした語り口は、私に聞かせようと丁寧に発音してくれたのだと分かった。 「ジローが狐? そんなわけないじゃない。だってジローは学生で――」 「そんたごど言ったが?」 「え?」  私は、出会ったときの会話を思い出していた。学生かと尋ねた私に、ジローはおれは年寄りだからと答えたのだった。確かに、学生だとは言われていない。 「これはな、公園さ、たまに来る学生の真似だ。バンカラって言うのが? 破けだ帽子と制服が、かっこいくてな」  ジローが、照れくさそうに笑いながら、被りっぱなしだった学帽をそっと取った。大きめの帽子の下から出てきたのは、初雪の積もった地面のような、白い三角形の耳がふたつ。 「その耳って」 「触るが?」  ジローが白い耳をぴょこぴょこと動かしてみせる。自分の意志で動かせるということは、きっと本物の耳なのだ。横目でちらりと見たジローの瞳は、黄金色に光っている。縦長の瞳孔は、まるで獣の眼だ。  いや。ほんとうに、獣なのだろう。  私は、人間でないものを助手席に乗せているのだ。おそらくは、江戸の昔に、ヨジロウと呼ばれた化け狐を。  そう認識したとたん、ハンドルを握る私の手は、小刻みに震え始めた。それに気づいたジローが、首を傾げる。 「おれが、おっかねぇが? おめがら見れば化け物だもんな」 「そう、なんだろうけど――」  確かに、化け物なのだろう。ジローが件のヨジロウ狐かどうかは別としても、たぶん、本性は獣――狐なのだ、とは思う。  しかし、ジローは嘘はつかないと言っていた。だから、自ら正体をばらす必要などないのに、こうして素性を明かした。きっとここまでの道中から、彼は私を信じるに足ると判断したのだろう。  彼女に会いに行くのだと言い、はにかんだジローの笑顔が作り物かと問われれば、違う、と思った。なにより、残される者の方が辛いといたわってくれた心は、真実だと信じたかった。だってジローは、嘘はつかないのだと言っていたから。 「でも、ジローは狐かもしれないけど、ジローだよね。……最初に言ってた、好きな子に会いに行くって、それもやっぱり嘘じゃないんでしょ」  問いかける声は情けないくらいか細いものだったけど、ジローは「んだ」と答えた。 「父の葬式だったって言ったとき、ジローが私を心配してくれたの、嬉しかった。それも嘘じゃなくて、ジローの心からの言葉でしょう」 「んだ!」  ジローは勢いよく即答した。その短い返答に、隠しきれない喜色がにじむ。狐と言うよりまるで犬のようだ、いや狐はイヌ科だったっけ。  彼は嘘をつかない。それならば、私もそれに応えたいと、ただそう思った。 「私も、約束通りにジローを東根まで送るよ。……じゃあ、次は新庄あたりで休憩するからね」 「分がった。……あ、んだんだ、さっきのこんびにさ書いでだ『ふぁみちき』って、何だ」 「ファミチキ? 鶏の揚げ物だよ」 「食いてえなあ」  やはり即答したジローに、私はついに吹き出してしまった。手の震えは、もう止まっていた。 ◆◆◆  ジローの案内でたどり着いたのは、『與次郎稲荷神社』と書かれた社の前だった。私たちを出迎えたのはやけに足の太い鳥居で、安定感のあるような、アンバランスなような、不思議な形をしていた。同じ名の神社が、秋田にもあるのだそうだ。先ほどの話によれば、この東根の神社は、與次郎の死後に起こった祟りという名の異変を鎮めるために、作られたということになる。  神社に、私たち以外に人はいなかった。夕暮れが降り始めた静かな境内に、ジローは進んでいく。私もその後を追っていくが、ジローの脚は速かった。  與次郎は、普通の飛脚なら半月はかかる仕事を六日で済ませたのだという。『おれどご、良ぐ思わねえやづも、えっぺ、いだんだな』と淡々と言ったジロー。彼の亡骸は人間の恋人の手によって、ここ東根に葬られたのだそうだ。 「ジローは、普段はどっちのお稲荷さんにいるの?」 「秋田。……今回は土産話えっぺあって、喜ぶべなあ」  恋人との逢瀬――きっと、その恋人もとうに故人だろうけれど、それなら墓参りっていうのは、なんて細かいことは気にしないことにした――が楽しみなのか、ジローが心底楽しそうに笑うので、冷やかす気も無くなってしまった。 「ファミチキおいしかったって言うの?」 「うん。あど、『こーら』は口ん中痛ぐなるがら、やめれって」  しかめっ面でジローは言った。新庄で寄ったコンビニで炭酸飲料のペットボトルが気に入ったというので、ジローにおごってあげた。そこまでは良かったのだけれど、彼は一口飲んだ瞬間に盛大にむせ、涙を浮かべながら『ベロさなんか刺さったど』と訴えたのだ。  思い出し笑いをかみ殺す私をまじまじと見つめ、ジローもまた、にいっと笑った。八重歯――ではなく、鋭い犬歯を覗かせて。 「元気、出だが?」 「うん。……途中、ちょっと驚いたけど」 「悪がった」 「でも、楽しかったよ。ジローと一緒じゃなかったら、どうなってたか分からないって思うから。ありがとう」  この三時間の帰路が、私一人だったらと考えると怖かった。  ジローは、涙は出そうとして出るものじゃないと言ったけれど、道中でもし泣き崩れたりでもしたら、運転はおろか、無事にここまで帰ってくることもできなかったかもしれない。なんだかんだ言ったって、ジローの明るさには助けられた。ジローも私に寄り添ってくれていたのは、よく分かった。  そう伝えると、ジローは「なんもなんも」と頭を掻いた。狐の耳がぴこぴことせわしなく動いているのは、きっと嬉しいのだろう。ついでに言えば、しまい忘れているのか、目的地に着いて気が抜けているのか、先ほどから尾もはみ出している。 「大事なひとさ会いに行ぐどぎはな、距離なんて気になんねえもんだ。『ひっちはいく』で、好きな娘ッコのどごさ行ぐ狐もいるべ? カスミは、おれの足より速ぐ秋田さ行げる。おめの母っちゃが待ってると思えば、しったげ速ぐな。んだがら今度は千秋公園さ、母っちゃとひとづに来。賽銭、奮発せば御利益あるど」 「そんな贔屓ありなの?」 「おめだげ特別だ」  少し得意げに胸を張るジロー。  彼のおかげで、私の中でわだかまっていたものはすっかり溶けてしまっていた。地元を出たのは自分の意思だったのに、勝手に疎外感を感じたり、変わってしまったと思ったりしていた。そして単純なことに、その心一つで二つの街の間は近くも遠くもなるのだと、ジローは気付かせてくれた。  ジローは、そわそわと体を揺らしている。想い人のところへと走って行きたいのだろうと察して、私は「お別れだね」と努めて明るく言った。 「おれも、そろそろ行ぐ」 「じゃあ、秋田でね」 「へばな!」  ジローは、大きく瞬きを一つ残し、こちらへ背を向けた。その姿は瞬時に白狐に変わり、逢魔が時の夕闇の中へと消えていった。  車に戻ると、ジローがさっきまで座っていた助手席には大きな蓮の葉が一枚、残されていた。それがスケッチブックのなれの果てだと気付き、私は苦笑する。ジローは、最後の最後だけ、私を化かしてくれたわけだ。  私は見事な蓮の葉を見ながら、その花が咲く頃に秋田に行こうと思い立つ。彼のすみかが、うつくしい薄桃色に彩られる季節に。
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