20人が本棚に入れています
本棚に追加
14
二人の乗ったタクシーが五百メートルほど走ったところで西が言った。
「あんたすまないが、中井に寄っていいか?」
「中井? 構わないが、あんた大丈夫か?」
「大事な女を待たせてるんだ」
「そうか」
英二が頷き西が運転手に住所を告げる。
タクシーは中井に向かった。
タクシーがマンションの正面に横付けする。
「ここで待ってて貰えるか?」
「なんかの縁だ、付き合う」
英二もタクシーを降り二人でフロアを上がった。
西が玄関扉に鍵を差し込む。
鍵を捻りノブを回し扉を引くが、扉が枠にぶつかる。
西の顔色が変わる。
もう一度鍵穴に鍵を挿そうとするが、焦って鍵先が滑る。
ようやく鍵を挿し、ガシャンとシリンダーを回すと扉が開いた。
玄関に逆さになったスニーカーやサンダルが散らばり、玄関マットが斜めに波打っている。
「リン……」
西はリビングに走り勢いよくドアを開けた。
むわっとした空気に血の臭い。
ベランダのすぐ横の壁に背持たれ血の海に足を投げ出して、リンが死んでいた。
西が息をのむ。
ワンピースの白い月下美人が血で赤く染まり、ベランダから射す陽が照らしていた。
血の海が床に広がるフレアの裾に染みて、紅い華が咲いているようだった。
リンは、頭をうな垂れて、死んでいた。
「リン! リン!」
西は駆け寄り、生暖かい血の泥濘みに両膝をつき、リンの両肩を掴み前後に激しく揺さぶる。
「リン! リン!」
意思を持たないリンの頭が左右にぐらぐらと揺れる。
「おいっ! リン! リン!」
首が取れかけた人形のように頭がぐらぐら揺れる。
「リン……リン……」
西は血塗れの両掌で、リンの頬を持ち上げる。
目を閉じた生気を無くした白い顔が正面を向く。
「あ……あ……」
西はリンの頬のあたりを両掌で包むように持ち、息が掛かるほど顔を近づける。
「リン……目え開けてくれよ……リン……」
後ろで見ていた英二が、リンの右手の指先に目をやる。
床に投げ出した右手の人差し指が、血文字を書いていた。
”我愛称”
日本語で、あなたを愛しています。
西とリンが初めて一夜を過ごした夜、リンが西に教えた言葉だ。
リンはこの言葉を綴って、事切れた。
「我愛称、西さん。愛してる」
「我愛称、リン」
「我…愛…称……凛……我愛称……」
西はリンの亡骸を抱きしめ、長いこと物悲しい嗚咽を漏らしていた。
陽が落ち部屋が暗くなる。
英二が西の肩に手をかけた。
「あんた、ここに長居するのは不味い……もう、彼女を眠らせてやろう……」
英二は西を引き摺るようにして、マンションを後にした。
リンの左手は産まれて来る子を庇うように、お腹を守っていた。
最初のコメントを投稿しよう!