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 二人の乗ったタクシーが五百メートルほど走ったところで西が言った。 「あんたすまないが、中井に寄っていいか?」 「中井? 構わないが、あんた大丈夫か?」 「大事な女を待たせてるんだ」 「そうか」  英二が頷き西が運転手に住所を告げる。  タクシーは中井に向かった。   タクシーがマンションの正面に横付けする。 「ここで待ってて貰えるか?」 「なんかの縁だ、付き合う」  英二もタクシーを降り二人でフロアを上がった。  西が玄関扉に鍵を差し込む。  鍵を捻りノブを回し扉を引くが、扉が枠にぶつかる。  西の顔色が変わる。  もう一度鍵穴に鍵を挿そうとするが、焦って鍵先が滑る。  ようやく鍵を挿し、ガシャンとシリンダーを回すと扉が開いた。  玄関に逆さになったスニーカーやサンダルが散らばり、玄関マットが斜めに波打っている。 「リン……」  西はリビングに走り勢いよくドアを開けた。  むわっとした空気に血の臭い。  ベランダのすぐ横の壁に背持たれ血の海に足を投げ出して、リンが死んでいた。  西が息をのむ。  ワンピースの白い月下美人が血で赤く染まり、ベランダから射す陽が照らしていた。  血の海が床に広がるフレアの裾に染みて、紅い(はな)が咲いているようだった。  リンは、頭をうな()れて、死んでいた。 「リン! リン!」  西は駆け寄り、生暖かい血の泥濘(ぬかる)みに両膝をつき、リンの両肩を掴み前後に激しく揺さぶる。 「リン! リン!」  意思を持たないリンの頭が左右にぐらぐらと揺れる。 「おいっ! リン! リン!」  首が取れかけた人形のように頭がぐらぐら揺れる。 「リン……リン……」  西は血塗(ちまみ)れの両掌で、リンの頬を持ち上げる。  目を閉じた生気を無くした白い顔が正面を向く。 「あ……あ……」  西はリンの頬のあたりを両掌で包むように持ち、息が掛かるほど顔を近づける。 「リン……目え開けてくれよ……リン……」  後ろで見ていた英二が、リンの右手の指先に目をやる。  床に投げ出した右手の人差し指が、血文字を書いていた。  ”我愛称(ヲアイニィ)”  日本語で、あなたを愛しています。  西とリンが初めて一夜を過ごした夜、リンが西に教えた言葉だ。  リンはこの言葉を綴って、事切れた。 「我愛称、西さん。愛してる」 「我愛称、リン」 「我…愛…称……(リン)……我愛称……」  西はリンの亡骸を抱きしめ、長いこと物悲しい嗚咽を漏らしていた。  陽が落ち部屋が暗くなる。  英二が西の肩に手をかけた。 「あんた、ここに長居するのは不味い……もう、彼女を眠らせてやろう……」  英二は西を引き()るようにして、マンションを後にした。  リンの左手は産まれて来る子を(かば)うように、お腹を守っていた。
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